神様との関係について考えるとき、私たちは次のような質問をよくします。「私は毎日、聖書を読んでいるだろうか。毎日祈っているだろうか。毎週の日曜日に教会へ行っているだろうか。」
けれども、神様との関係や自分の霊的な健康を考えるとき、本当に重要な尺度は私たちの人間関係です。
今日の箇所では、その真理を見ることができます。割礼やモーセの律法の従順についての議論のせいで、ガラテヤの教会では多くの人間関係の問題が次々と起こったようです。つまり、嫉みや争い、憤り、党派心、分裂などが生じたのでした(ガラテヤ人への手紙5:20-21)。
そのため、パウロは彼らに警告しました。
気をつけなさい。互いに、かみつき合ったり、食い合ったりしているなら、互いの間で滅ぼされてしまいます。(ガラテヤ人への手紙5:15)
そして、パウロは、人間関係の中で私たちが御霊の実を結ぶべきであると語ります。例えば、愛、寛容、親切、善意、誠実などです。(22-23)
前回の記事で、私たちはガラテヤ人へのパウロの訓戒を見ました。
「あなたたちは、古い生き方を十字架につけたのではないでしょうか。その生き方に戻ってはなりません。自分の罪深い心に従ってはいけません。むしろ、御霊によって歩みなさい。
もしあなたたちがうぬぼれて、互いに挑み合ったり、妬み合ったりすると、聖霊様の導きに従うことができません。」(24-26)
では、私たちは互いにどのように接するべきでしょうか。6章では、パウロは実用的な勧告を与えています。
兄弟たち。もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。(6:1)
律法主義的なクリスチャンには、二つの問題がありがちです。それはプライドと他者を責めることです。プライドによって、私たちは「私は良い人だ」と主張します。そして、人を責めるとき、私たちは「おまえはだめだ」と言ってしまいます。
もしかすると、ガラテヤの教会で、罪に陥った人がいたとき、ほかのクリスチャンたちは狼の群れのようにその人を攻撃したかもしれません。
けれども、パウロは彼らに問いかけました。「あなたたちは本当に御霊の人でしょうか。御霊はあなたたちを本当に導いているでしょうか。あなたたちは御霊の実を結んでいるでしょうか。
御霊の実は、柔和、親切、寛容、愛です。そのような態度をもって、その人を扱うべきです。その人を滅ぼそうとしてはいけません。その人を正してあげなさい。」
その際には謙遜な態度を持ちなさい。あなたたちも弱い者であることを認めなさい。あなたが罪に陥る可能性もあることを認めなさい。だから、相手の罪だけに集中するのではなく、自分自身も罪に落ちないように気をつけなさい。
そして、パウロはこう語りました。
互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。(6:2)
パウロが意味したことは、あるクリスチャンが罪悪感の重荷を担っているときや、罪と戦っているときに、私たちがその人を支え、励ますべきだということです。
パウロの言葉を言い換えると、「あなたはキリストの律法を守りたいと思うでしょうか。罪と戦っている人を攻撃してはなりません。その人を励ましなさい。その人のために祈りなさい。」
もちろん、罪だけではなく、クリスチャンが他の問題を抱えているときにも、私たちはその人を支え、励ますべきです。
それこそが御霊に導かれる人です。その人は、ただ聖書を読み、祈るだけではありません。むしろ、その人の人間関係には、御霊の実が豊かに結ばれます。
私は自分がそのような人かどうか分かりません。それでも、そのような人になりたいと願っています。あなたはどうでしょうか。
