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エペソ人への手紙

神様の恵みの不思議さ

エペソ人への手紙2:1-9

1章では、パウロは、エペソの信徒たちがキリストにあって自分たちが何を受けているのかを正しく理解できるようにと祈りました。

そして2章では、パウロはその真理を、彼らに対して明確に語り始めます。

私たちも神様のことばを伝えるとき、同じようにすべきです。まず、神様が語る相手の霊的な目を開いてくださるように祈り、そして神様のことばを、相手が理解できるように明確に語る責任があります。

さて、今日の箇所では、私たちは神様の恵みの深く不思議な性質を見ていきます。

私たちはかつて、自分の罪の中で死んでいました。霊的な命をまったく持っていませんでした。私たちはサタンの支配のもとを歩み、神様に背を向けていました。神様を喜ばせようという思いなど一切なく、むしろ自分自身の欲を満たすことのために生きていました。

私たちは、生まれながらにそのような心を持っていたのです。

だから、パウロはこう言いました。

私たちもみな。。。ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。(エペソ人への手紙2:3)

私たちは、生まれた日から神様に背く心を持っていたため、神様の御怒りを受けるべき存在でした。

パウロの時代のユダヤ人たちのように、ある人は、神様を信じる家庭で育ち、御言葉に親しんできたことから、自分は神様に受け入れられていると思っているかもしれません。

しかし、パウロはユダヤ人について次のように語りました。「神様に背く私たちの心のゆえに、私たちもまた、神様の御怒りを受けるべきでした。私たちは律法を与えられていましたが、その律法を全うすることができなかったのです。」

今日も同じように、多くの人が教会に通い、聖書を読み、道徳的には他の人よりも良い人であるかもしれません。けれども、彼らもまた神様の律法を完全に守ることができないため、神様の御怒りを受けるべき存在なのです。

だから、ローマ書の中で、パウロはこう述べています。

そこに差別はありません。すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることが出来ず。。。(ローマ書3:22-23)

神様はその私たちの姿をご覧になって、私たちを見捨ててしまわれたのでしょうか。「彼らはもうだめだ」と呆れ果てて宣言されたのでしょうか。

いいえ、決してそうではありません。むしろ、パウロはこう語ります。

しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。

神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。

それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。(エペソ2:4-7)

私たちは、かつて罪の中で死んだ者でした。死んだ者に何ができるでしょうか。何もできません。

けれども、神様は私たちをよみがえらせ、ご自身に応答できる心を与えてくださいました。そして、私たちが信仰をもって神様に立ち返ると、神様は私たちに新しい命を与えてくださいました。

神様は、罪という泥沼から私たちを引き上げ、清めてくださいました。そのため、私たちは神様の目において完全な者とされたのです。

もし神様がそれだけしてくださったのだとしても、私たちはその恵みの驚くべき豊かさにただただ圧倒されたことでしょう。

ところが、神様はそれ以上のことをなしてくださいました。神様は私たちを、イエス様とともに天に座らせてくださいました。さらに、私たちを御子として養子にしてくださったのです。そしてある日、神様の相続人として、私たちはイエス様とともに治めることになるのです。

なぜ、神様はそこまでしてくださるのでしょうか。それは、ご自身の恵みの豊かさをあらわすためです。神様は、私たちがその恵みの素晴らしさをたたえるようにと望んでおられたのです。

そして、パウロはこの恵みの物語を、次のように締めくくります。

この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(8-9)

神様の恵みの不思議さとは、こういうことです。私たちは救いを求めようともせず、その救いにふさわしくもなかったのに、神様はなおも私たちを救ってくださいました。

私たちの救いは、ただ神様から来たものです。そして、私たちの信仰さえも神様から与えられたものです。「私は救いに値する」と誇ることができる人は、だれひとりいません。救いは初めから終わりまで、完全に神様の賜物なのです。

さらに神様の恵みの不思議さは、私たちを単に救ってくださったということだけではありません。神様は私たちを養子として迎えてくださいました。そして私たちを、ご自身の相続人としてくださったのです。

だからこそ、私たちは日々その恵みに驚き、心からたたえましょう。

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