この世を見れば見るほど、私たちはその混乱の深さに気づかされます。そして、自分自身の人生を振り返ると、それもまた壊れ、乱れていることを認めざるをえません。
この世も、私たちの人生も、壊れた、不完全なものなのです。その壊れた世界と人生を癒すことができるのは、ただお一人――イエス様だけです。
そのために、イエス様はこの世に来られました。第9〜10節によれば、イエス様は人間としてこの地に来られ、私たちの罪のために命をささげてくださいました。そして、死を打ち破って復活され、天へと昇られました。
その目的とは何でしょうか。それは、「キリストがすべてのものを満たすため」であると書かれています。
つまり、イエス様は人を内側から満たし、壊れた人生を癒し、渇いた心に命を注いでくださるお方です。そして最終的には、罪によって傷ついたこの被造世界全体をも、完全に回復してくださいます。
パウロはこう言いました。
(イエス様)はいと高き所に上ったとき、捕虜を連れて行き、人々に贈り物を与えられた。(エペソ人への手紙4:8)
「捕虜」とは誰のことでしょうか。もしかすると、イエス様に敗れた悪霊たちかもしれません。けれども、より可能性が高いのは、彼らがイエス様によって自由にされた罪の奴隷たちであった、ということです。イエス様は彼らを解放し、神の御国へと導き、さらに贈り物を与えてくださいました。
その贈り物とは何でしょうか。
第一に、永遠のいのちです。
第二に、御霊です。御霊は私たちのうちに住み、新しく生まれ変わらせ、私たちをますますイエス様のかたちに変えていってくださいます。
第三に、使徒、預言者、伝道者、牧師および教師といった、キリストのからだに仕える人々です。
たとえば、パウロやペテロのような使徒たちは、初めて福音を宣べ伝えました。
預言者たちは神様のことばを語り、私たちを教え、励まします。
伝道者たちは人々をイエス様のもとへ導いてくれます。
牧師と教師たちは、私たちの霊的な必要を養い、イエス様について教え、正しい道へと導いてくれます。
しかし、これらの人々がすべての奉仕を担うわけではありません。先ほども述べたように、彼らは教会への神様の贈り物なのです。では、なぜ神様はそのような人々を教会に与えてくださったのでしょうか。
それは、聖徒たち(つまり、すべてのクリスチャンたち)を整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。(12-13)
要するに、私たちは互いに建て上げ合い、互いの信仰を強め合い、イエス様について教え合う存在であるべきです。その結果として、私たちは成熟へと導かれていきます。
もちろん、一人ひとりのクリスチャンが成熟することも大切ですが、同時に教会全体がキリストにおいて成熟していくのです。
教会があらゆる点においてイエスのかたちに近づくとき、私たちがこの世に触れるにつれて、イエス様はすべてのものを満たされます。
ここで注目すべきは、パウロが「私たちは一人の成熟した大人となる」と語っていることです。
「多くの成熟した大人たちになる」とは言っていません。むしろ、「一人の成熟した大人となる」と強調しています。私たちは一つのからだとして結び合わされていきます。すなわち、完全に成熟したキリストのからだへと成長していくのです。
では、私たちはどのような者になってはいけないのでしょうか。私たちは、あらゆる教えの風に吹き回され、もてあそばれる子どものようになってはなりません(14節)。
むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。
キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。(15-16)
そうすれば、私たちは個々のクリスチャンとしても、教会としても、イエス様にあって完全なものへと成長していくのです。そして、私たちを通して、イエス様はすべてのものを満たし、癒してくださいます。
