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エペソ人への手紙

私たちの目的を果たすには

エペソ人への手紙4:17-24

ディズニー映画『アナと雪の女王』では、エルサ女王が自分の力を現してしまい、人々の恐れによって王国を離れざるを得なくなります。

それまでエルサは、自分の力を周囲の人々から隠していました。けれども、追放された後、彼女は「ありのままの姿を見せるのよ。ありのままの自分になるの」と決意します。

そして、彼女は歌います。

もう自由よ。
何でもできる。
どこまでやれるか、自分を試してみたい。

英語では、彼女はこう歌います。

正しいも悪いもない。
私にとって、もうそんなルールは存在しないのよ。
私は自由だから。

しかし、その「自由」は長くは続きませんでした。 妹のアナがエルサのもとを訪れ、彼女が「自由」を活用した結果、王国がどれほど混乱してしまったかを伝えます。

だから、エルサは英語の歌でこう歌います。

なんて愚かだったの….自由なんて無理。
内なる嵐から逃れる術はないのよ。
コントロールできない…この呪いを!
なんて恐ろしい。

そして、アナがエルサに「すべてを治せる」と説得しようとしたとき、エルサは答えました。

「私にはできない。」

多くの人々は「ありのままで」という歌を好みますが、エルサが最終的に何を悟ったのかを理解している人はどれほどいるでしょうか。

つまり、本当の自由はただ自分自身を理解することからは生まれないのです。

なぜなら、私たちの内にあるものは、結局私たちを滅ぼしてしまうからです。そして、私たちは自分自身を恐れるようになり、また、自分の問題を解決することができないと気づきます。

けれども、多くの人々はこのことに気づいていません。むしろ、パウロによれば、彼らはむなしい心で歩んでいるのです。

パウロはこう言います。

彼らは知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、頑なな心のゆえに、神のいのちから遠く離れています。

無感覚になった彼らは、好色に身を任せて、あらゆる不潔な行いを貪るようになっています。(エペソ人への手紙4:18-19)

もちろん、このすべての言葉をエルサに当てはめることはできません。なぜなら、その映画はクリスチャンの寓話ではないからです。

とはいえ、エルサの知性が暗かったため、彼女は自分がどうあるべきかわかりませんでした。彼女を拒絶した人々の影響で心が頑なになり、彼女は自分の道を進むことで自由を得たと思いました。

同じように、多くの人々の知性が暗く、彼らは自分が何者であるべきかを理解できません。神様は愛を持って彼らを御自身の似姿に造られましたが、彼らは無知のゆえに神様に対して頑なな心を持っています。

そのため、彼らは善悪という「鎖」を捨て、自分の道を歩んでしまいます。そして、「自分の道を行けば自由を見つけられる」と思っています。

ところが、結局彼らは自由を得ることはありません。むしろ、人生は混乱し、何をすればよいのかわからなくなってしまいます。

クリスチャンとして、私たちはそのように生きるべきではありません。

むしろ、私たちは古い人生を捨てるべきです。私たちは古い態度や習慣も捨てなくてはなりません。 なぜなら、それらは腐敗したものであり、それに従い続ければ、私たちは滅びてしまうからです。(22)

特に、私たちは一つの考え方を捨てなくてはなりません。それは、神様からの独立を求める態度です。 自分の道を行くことで自由を得ることはできません。むしろ、その道は呪いとなり、私たちを縛ってしまいます。

だから、パウロは言います。

あなたがたが霊と心において新しくされ続け(なさい)。(23)

神様が私たちの心を変えてくださるように祈るべきです。 そして、私たちは「真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着るべきです。」(23ー24)

私たちはそのような人になるべきです。私たちは神様のように歩むべきです。

もちろん、クリスチャンにはそれぞれ違いがあります。私たちは多様な賜物を与えられており、それぞれの性格を持っています。 クリスチャンになったからといって、それらを失うわけではありません。

むしろ、エルサのように、私たちの賜物は神様の計画のもとで美しく輝くものとなります。 また、神様の御心に従うことで、私たち自身も神様が意図された通りに美しい創造物となります。

しかし、その美しさを持つためには、自給自足の態度を捨てなくてはなりません。神様からの独立を求める思いを捨てなくてはなりません>。 そして、私たちは自分が何者であるべきかを忘れずに歩まなくてはなりません。

それは、神様の似姿に造られた者であるということです。

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