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エペソ人への手紙

私たちの武具

エペソ人への手紙6:10-24

前回の記事で私は言いましたが、 私たちは霊的な戦いを人間的な武器で戦うのではありません。 つまり、銃や政治、議論などに頼るのではないということです。

誤解しないでください。 私は、政治や議論を用いること自体が悪いとか、 それらの武器を絶対に使ってはならないと言っているのではありません。 実際、パウロ自身も政治家や哲学者と対話する中で、 そうした道具を用いたのです。

けれども、それらの武器“だけ”では、霊的な戦いに勝つことはできません。

攻撃を受けるとき、私たちが堅く立つためには、 神様の武具が必要です。

その武具は、何から成り立っているのでしょうか。

1つ目は、真理の帯です(14a)。 私たちは常に真理を語る者であるべきです。 私たちは正直な人として知られるべきなのです。 私たちの周囲で、人の嘘やサタンの偽りが語られるとき、 私たちは神様の真理を口にすべきです。

偽善者や信仰を軽んじる人々を見ることがあるかもしれません。 けれども、私たちは自らの誠実さによって知られるべきです。 預言者ダニエルとその友人たちはまさにそのような人々でした。 (ダニエル書1章〜6章)

そして、私たちの心を守るために、正義の胸当てを着けるべきです(14b)。 罪を犯すと、私たちの心は汚れ、弱くなってしまいます。 ですから、たとえ責められても、私たちは誘惑に屈してはならないのです。

ダニエルとその友人たちは、幾度となく責められました。 けれども彼らは、自らの信仰を決して汚すことなく、正しい行いを貫きました。

また、私たちは攻撃されても、仕返しを求めてはなりません。 むしろ、私たちはペテロの言葉に従うべきです。

ですから、神のみこころにより苦しみにあっている人たちは、善を行いつつ、真実な創造者に自分のたましいをゆだねなさい。(第一ペテロ4:19)

そして、足には、平和の福音の備えを履くべきです(15)。

どこに行くときでも、私たちは神様の平和によって安心すべきです。 なぜなら、たとえどのような試練に直面し、たとえ死に至るとしても、 私たちは救いの確信を持っているからです。

また、私たちは周りの人々にも神様の平和を知ってもらうために、 その福音を彼らに伝えるべきです。

さらに、信仰の盾を取るべきです(16)。 そうすれば、サタンが疑いの火矢を放つときに、 私たちはその火矢を消し去ることができます。

困難のとき、あるいは迫害のとき、 私たちが神様を疑いたくなるのは自然なことです。 「神様、あなたは本当にここにおられるのですか? なぜ、こんな問題をお許しになるのですか?」

けれども、私たちは、神様が今なおこの世界を支配しておられ、 最終的に私たちに報いを与えてくださることを信じることで、安心すべきなのです。

そして、私たちは救いのかぶとをかぶるべきです(17a)。 私たちの内に住んでおられる御霊によって、 私たちの思いは日々新しくされるべきです。 御霊とともに歩む中で、私たちの心と生活は、 少しずつ変えられていくはずです。

最後に、私たちは御霊の剣、すなわち神様のみ言葉を手に取るべきです(17b)。 それは、私たちに与えられたただ一つの攻撃的な武器です。

サタンが荒野でイエス様を試みたとき、 イエス様はいつもサタンの偽りに対して、 神様のみ言葉を用いて応戦されました。

神様のみ言葉によって、私たちは真理を知ることができます。 そのみ言葉と、聖霊の力によって、 神様は私たちの思いや生活を造り変えてくださいます。

また、人々が福音の光を見るために、 神様のみ言葉は彼らの心を深く貫きます。

ですから、私たちが神様のみ言葉をよく知っていることは非常に大切なのです。 あなたは、そのみ言葉をどれほど深く知っているでしょうか。

そして、あなたは日々、神様の武具を身につけているでしょうか。 もしかすると、サタンの攻撃を受けると、すぐに倒れてしまうかもしれません。

この暗闇の世界にあって、 あなたは堅く立つ備えができているでしょうか。

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