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ピリピ人への手紙

喜ぶことを選ぶ

ピリピ人への手紙1:12-18

パウロは福音のためにさまざまな困難を経験したので、もし彼が愚痴をこぼしていたとしても、驚くには値しないでしょう。

もしかすると、弱さの中で、彼はぼやいたこともあったかもしれません。しかし、パウロに関する記録や彼自身の手紙の中で、彼が不平を言ったという描写は見当たりません。むしろ、彼は喜んでいました。

主から与えられる喜びは、本当に不思議なものです。その喜びは状況に左右されるものではなく、神様との関係から生まれる実なのです。だからこそ、どのような状況にあっても、その喜びは私たちの心の奥から湧きあがってきます。

使徒の働き16章には、その一例が描かれています。パウロとシラスは逮捕され、牢に投げ込まれました。彼らが鞭で打たれ、足かせにつながれたとき、彼らはどのように反応したでしょうか。 彼らは賛美歌を歌い、祈りをささげていたのです。

そして、ローマの牢でも、パウロは同じことをしていました。

親衛隊たちは、パウロを見るときっと驚いたことでしょう。多くの囚人たちは、うめいたり、文句を言ったり、絶望して静かに泣いたりしていました。

しかし、親衛隊の交代の時間になって、彼らがパウロを見ると、彼は彼らに明るく挨拶し、賛美歌を歌い、福音を語っていたのです。そのため、親衛隊の誰もが、パウロがただの囚人ではないことをすぐに悟りました(13)。

もしかすると、ある親衛隊たちはクリスチャンになったかもしれません。

さらに、牢の中でパウロが大胆に福音を語ったその模範によって、他のクリスチャンたちもまた、大胆に福音を語り始めました。

中には、「パウロが牢にいるのだから、私が頑張って、代わりに福音を伝えなくては」と思った人たちもいたことでしょう。

残念なことに、他の人々の動機はあまり純粋ではありませんでした。もしかすると、彼らはパウロの群れを奪おうとしていたのかもしれません。

しかし、人々の動機がどうであれ、パウロは喜んでいました。 なぜなら、サタンは福音の広がりを止めようとしましたが、それにもかかわらず福音は進み続けたからです。

少し考えてみてください。もしパウロが常に愚痴をこぼしていたとしたら、どうなっていたでしょうか。もし彼が「自分はかわいそうだ」と思っていたなら、どうなっていたでしょうか。

おそらく、彼は徐々に絶望に陥り、他のクリスチャンたちも落胆していたことでしょう。

けれども、パウロは喜びを選んだので、彼は試練を乗り越え、神様は栄光を受けられました。

あなたはどうでしょうか。どのような苦しみを通過しているでしょうか。どんな状況であっても、あなたはパウロのように「喜ぶこと」を選ぶでしょうか。それとも、「私かわいそうパーティー」を開いてしまうでしょうか。

もし私たちが喜ぶことを選ぶなら、その苦しみを乗り越え、神様は栄光をお受けになります。

しかし、文句ばかり言っていると、あなたは重たい足どりで絶望のぬかるみをさまようことになるでしょう。

あなたは、どちらを選びますか。

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