私の人生を振り返ると、キリストに似る者となるために、私はどれほど変わらなければならないかを痛感します。
結婚すると、特にクリスチャンの男性たちは、その現実に気づかされるのではないでしょうか。教会に対するキリストの愛に比べると、妻に対する自分の愛の未熟さに気づかされるのです。
ですから、パウロが「私はまだ神の目的を成し遂げていない」と言うとき、私は深く共感します。
実際、自分の歩みを見つめると、落胆するのは簡単です。
けれども、私はパウロの言葉にしがみついています。
私は、(つまり、キリストの義や、キリストの復活の力などを)すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。(ピリピ人への手紙3:12)
パウロの次の言葉も、私は好きです。
そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。(12b)
ある英語の翻訳が、私は好きです。「キリストは、私を捕らえ、自分のものにしました。」
そのことを聞いて、私は慰められます。なぜなら、私はキリストに受け入れられるために努力する必要がないからです。イエス様はすでに私を御自分のものとされました。私はイエス様に属しています。だから、たとえ私が失敗しても、イエス様が私を拒絶する恐れはありません。
だからこそ、私は前に進もうと励みます。神様に受け入れられるためではなく、すでに私がキリストにあって持っているものを、実際に経験するためです。すなわち、イエス様の義、イエス様の苦しみ、イエス様の死、そしてイエス様の復活です。
その中でも、とりわけ私はイエス様との関係を経験したいのです。イエス様が私を知っておられるほどに、私もイエス様を知りたいのです。
だから私は、たとえ失敗しても、つまずいても、パウロのように言うことができます。
兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。
ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。(13-14)
私は、自分の失敗をくよくよしたくありません。そうすると、絶望してしまうからです。
かといって、自分の勝利を祝いすぎたくもありません。そうすると、自己満足に陥ってしまうからです。
むしろ私は、毎日「賞」に照準を合わせて、走りたいのです。毎日、神様が備えてくださったことを正しく理解し、私のための神様の計画に従って生きたいのです。
パウロによれば、私たち皆がそのように考えるべきなのです。
ですから、大人である人はみな、このように考えましょう。
もしも、あなたがたが何か違う考え方をしているなら、そのことも神があなたがたに明らかにしてくださいます。ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです。(15-16)
あなたは、自分が大人だと思っているかもしれません。しかし、あなたはまだ成長の途中にあります。だから、走り続けましょう。
あなたは、自分が失敗者だと思っているかもしれません。しかし、神様はすでにあなたをご自分のものとして受け入れてくださいました。だから、走り続けましょう。
今、あなたがどこにいたとしても、決して後戻りしてはいけません。
むしろ、すでに到達したところを基準として、さらに前へ進むべきです。そして、自分の力ではなく、あなたのうちに住んでおられる聖霊様の力によって、走り続けましょう。
あなたは、そのように歩んでいますか。
