パウロはこの手紙を書いていたとき、ユウオディアとシンティケの対立について、どれほど心を痛めていたことでしょうか。
彼女たちはかつて、パウロと共に福音のために働いた者たちであり、彼にとって愛する、かけがえのない姉妹でした。
しかし、この手紙を書いたとき、その二人の女性たちは争っていました。なぜ彼女たちが争っていたのか、私たちは知りません。
けれども、パウロは「ユウオディア、あなたが悪い。謝りなさい」とは言わず、「シンティケ、あなたが悪い。謝りなさい」とも言いませんでした。
むしろ、パウロはこう語りました。
ユウオディアに勧め、シンティケに勧めます。あなたがたは、主にあって同じ思いになってください。(ピリピ人への手紙4:2)
この手紙を通して一貫して語られている主題の一つは、教会の一致です。だからこそ、パウロはピリピの人々にこう語りました。
「あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにして、ともに戦っていなさい。」(1:27)
そしてパウロは、さらにこう語ります。
あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。。。キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。(2:2、5)
また、
すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。(2:14-16)
そして、第3章では、パウロは彼らにこう語りました。「自分の立場や実績に対するプライドを捨てて、イエス様に心を向けなさい。イエス様を知ることを、あなたの目当てとしなさい。あなたがたは御国の市民なのだから、そのように生きなさい。」
このように多くのことを語った上で、パウロはユウオディアとシンティケにこう勧めました。
「あなたがたのプライドを捨てなさい。争いを手放しなさい。互いに受け入れ合いなさい。そして、もう一度、福音のために力を合わせて仕えなさい。」
もしパウロが今日のクリスチャンたちを見たとしたら、私たちにもきっと同じ言葉を語ったのではないでしょうか。
今もなお、多くのクリスチャンたちは主を愛し、イエス様に仕えたいと願っていながら、自分のプライドのゆえに、他のクリスチャンたちと争っています。
私もパウロの痛みに共感します。なぜなら、私自身も教会の中で、そうした分裂を目の当たりにしてきたからです。
このような問題を見たとき、私たちはただ黙って見過ごし、状況が悪化するのを許すことはできません。パウロはこう語りました。
そうです、真の協力者よ、あなたにもお願いします。彼女たちを助けてあげてください。この人たちは、いのちの書に名が記されているクレメンスやそのほかの私の同労者たちとともに、福音のために私と一緒に戦ったのです。(4:3)
その「真の協力者」がだれだったか分かりませんけど、パウロはその人に言いました。「この二人の姉妹たちが和解するように助けてください。どうか、何とかしてください。」
でも、和解をもたらさずに、多くのクリスチャンたちは、二つに分かれてしまいます。または、あるクリスチャンたちはそのことについて噂を広めます。でも、教会の一致を保ちたいと思うなら、そんなことをしてはいけません。
むしろ、パウロは私たちにこう言います。
平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。(エペソ4:3)
あなたは、そのように歩んでいるでしょうか。
それとも、自分のプライドのせいで、相手と和解することを拒んでいるでしょうか。たとえ相手があなたを傷つけたとしても、あるいはあなたが相手を傷つけたとしても、できる限り和解を目指すべきです。
兄弟姉妹が争っているとき、あなたは平和をもたらそうとしているでしょうか。それとも、片方の味方についてしまっているでしょうか。
あいにく、多くの人は争いを解決しようとしません。むしろ、争いを放置した結果、やがてそれが爆発し、当事者の一人、あるいは両者ともが教会を離れてしまうのです。しかし、そのような結果が、イエス様に栄誉を帰すものでしょうか。
教会はイエス様に栄光を現し、この世にイエス様がどのようなお方であるかを示すべき存在です。けれども、教会の中に亀裂があれば、私たちはその使命を果たすことができません。
あなたは、教会に生じたその亀裂の一つとなっているでしょうか。それとも、もしかしたら、その亀裂を修復する者なのでしょうか。
