パウロの議論の流れを読み取るのは、時に簡単ではありません。たとえば、第3節と第4節は、まったく異なる話題なのでしょうか?
あるいは、第3〜5節はひとつの流れの中にあるのでしょうか?
もしかすると、第3〜9節全体が繋がっているのかもしれません。
私にははっきりとはわかりませんが、おそらくパウロは、第4〜5節を書いたときも、まだユウオディアとシンティケのことを心に留めていたのではないかと思います。
そしてパウロは、こう語りました。
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。(ピリピ人への手紙4:4-5)
1.イエス様は、教会のただ中におられます。だから、私たちが争っている姿をご覧になると、イエス様は悲しまれます。神様との平和をもたらすために、そして兄弟姉妹との平和をもたらすために、イエス様はご自身のいのちを十字架に捧げられたのです。
であれば、どうして私たちは、イエス様の御前で争い続けるのでしょうか。
2.イエス様は、やがて再び来られます。イエス様はこの世に戻られ、私たちを新しい天と新しい地へと導かれます。けれども、もしイエス様が今日来られたとしたら、あなたに何を語られるでしょうか。「よくやった。良い忠実なしもべだ」とおっしゃるでしょうか。
あるいは、こう語られるかもしれません。
「なぜ、兄弟と争い、時間を無駄にしていたのですか。なぜ、姉妹と争い、心を苦くしていたのですか。私はあなたに多くの働きを任せましたが、あなたの怒りと苦々しさは、あなたの人間関係をふさぎ、この世に仕える妨げとなってしまいました。」
私たちが主の御前に立つとき、プライドと争いによって、どれほど恥じることがあるでしょうか。
主は近いのです。だから、私たちの関係において、平和を保ち、一致のために励みましょう。
