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ピリピ人への手紙

神の平安に生き、人との関係に平和をもたらす

ピリピ人への手紙4:2-9

前回の記事でも触れましたが、この箇所においては、パウロの議論の流れを読み取るのが少し難しく感じられます。

特に、第5〜6節は、理解が難しい部分です。

「主は近いのです。」という言葉は、「あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。」という勧めに繋がっているのでしょうか。

それとも、「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」という命令に繋がっているのでしょうか。

あるいは、この三つの言葉はすべて互いに繋がっているのかもしれません。「主が近い」という真理は、私たちの心のうちにも、私たちの関係にも、平和をもたらします。

いずれにしても、パウロはこう語りました

主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4:5b-7)

多くの場合、私たちは心配に負けてしまいます。たとえば、ユウオディアとシンティケのように、人間関係に問題があるとき、心配に陥りやすくなります。でも、それだけではなく、仕事や子ども、将来のことなど、私たちの心配はさまざまです。

そのような不安に圧倒されてしまうのは、決して珍しいことではありません。

では、どうすればよいのでしょうか。

「主が近い」という真理を覚えていましょう。私たちが問題や心配のただ中にあるときにも、主がともにおられることを、心に留めていましょう。イエス様があなたを深く愛しておられることを、忘れないでください。

さらにもう一つの意味で、主は「近い」のです。つまり、主はまもなく再び来られます。

その日、イエス様はあなたの涙をすべてぬぐい取ってくださいます。悲しみも、苦しみも、悩みも、すべて消え去り、私たちは永遠の平安のうちに歩むようになるのです。言い換えれば、私たちのすべての苦しみは一時的なものに過ぎません。

だから、パウロが語ったように、「何も思い煩わないでください」。むしろ、問題や心配に直面するときこそ、あなたを愛しておられる神様に祈りましょう。そうすれば、神様の平和があなたの心と思いを守ってくださいます。」

原語で「守る」と訳されている言葉は、軍事的な用語です。私たちの思いの中は、まさに戦場です。しかし、神様はどんな敵よりも強い方です。

私はエリシャの出来事を思い出します。彼が敵の軍隊に包囲されたとき、エリシャのしもべは恐れていました。それを見て、エリシャは、「神様、彼の目を開いてください」と祈ります。すると、しもべが再び目を上げたとき、彼は天の万軍に満ちた山を見るのです(列王記第二6章)。

エリシャは、その現実を見ていたからこそ、心に平安を保っていました。

けれども、私たちが心配に心をとらわれ続けるなら、その平安を味わうことはできません。

また、苦々しさや恨みを抱くなら、心は平和に満たされません。

だから、パウロはこう勧めています

最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。(8)

そうすれば、私たちの心は平安に満たされ、神様は私たちの関係の中に平和をもたらしてくださいます。 人間関係に問題があるとき、私たちはしばしば相手の欠点に目を向け、彼らの過ちを思い巡らします。

しかし、パウロは「そのようなことに心を奪われてはならない」と語ります。

むしろ、パウロはこう勧めます── 「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いこと、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。」

何よりも、イエス様に心を向けてください。なぜなら、これらのすべての徳はイエス様にこそ当てはまるからです。

苦しみの時こそ、イエス様とパウロの模範に従いましょう。

そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。(9)

あなたの心には、神様の平安がありますか。もしかすると、あなたの心は、心配にとらわれ続けていませんか。あるいは、苦々しさや恨みを手放すことができずにいませんか。

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