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コロサイ人への手紙

キリストにあって満たされる

コロサイ人への手紙1:28-2:23

「満ち満ちる。」

どうやら、それはコロサイの教会に入り込んできた偽教師たちの合言葉だったようです。そこでパウロは、この手紙の中であえてその言葉を取り上げ、偽教師たちにこう言い放ったのです。

「あなたがたは“満ち満ちる”ということの本当の意味を知らないのではないか。」

そしてパウロは、コロサイの人々にこう語ります。

「あなたがたはキリストにあって成熟した者とされるのです。これこそが、私の務めの目的なのです。」

パウロはさらに続けて言います

私が苦闘しているのは、この人たちが愛のうちに結び合わされて心に励ましを受け、さらに、理解することで豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを知るようになるためです。このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。(コロサイ人への手紙2:2〜3)

つまり、「知恵と知識の宝はこの偽教師たちからではなく、キリストこそから来る。だから、彼らのもっともらしい議論に騙されないように」と、パウロは語ったのです(2:3〜4)。

そしてパウロは、コロサイの人々にこう語ります。 「知恵と知識の宝は、イエス様のうちに見出すことができるのだから、キリストに根ざし、キリストにあって建て上げられなさい。

あなたがたは、どのように救われたかを思い出しなさい。あなたがたの救いは、イエス様を信じる信仰によって始まりました。あなたがたはイエス様との関係に入れられたのです。

だから、これからの日々も、その信仰によって、イエス様と共に歩み続けなさい。そして毎日、イエス様を信じながら、イエス様があなたのためにしてくださったことを思い起こしつつ、喜びをもって感謝しなさい」(2:6〜7)。

さらにパウロは警告します。 「キリストからあなたがたを引き離そうとする哲学に注意しなさい。そのような哲学は空しく、人間の言い伝えや、この世のもろもろの霊に由来するものなのです」(2:8)。

「もろもろの霊」とは、おそらく悪霊のことです。つまり、その哲学の背後にある霊的な源は、悪霊なのです。

そして最後に、パウロはコロサイの人々に二つのことをはっきりと語ります。 「神様の満ち満ちたご性質を知りたいのですか。イエス様を見なさい。

キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。(2:9)

パウロは続けてこう言います。

あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。(2:10)

つまり、こういうことです。「本当に満たされたいなら、この偽教師たちではなく、ただイエス様だけを求めなさい」(2:9〜10)。

なぜでしょうか。それは、キリストにあってのみ、私たちの罪深い心が取り扱われるからです。

人間の努力ではどうにもできません。ただキリストだけが、私たちの罪深い心に割礼を施すことができるのです。

言い換えると、イエス様だけが、私たちの罪を根本から取り除くことができるのです。

キリストの力によって、私たちは古い生き方に死に、イエス様にあって新しい人としてよみがえらされます。だから、もはや私たちは自分の力によって生きるのではなく、神様の力によって生きるのです(2:11〜12)。

私たちは以前、霊的に死んでいました。自分自身を救うことなど到底できませんでした。

けれども神様は、私たちにいのちを与えてくださり、すべての罪を赦してくださいました。

私たちは、自分の罪のゆえに神様に対して負債を負っていました。しかし神様は、その債務証書を取り除き、十字架に釘付けにされたのです。

そして、イエス様は十字架で死に、よみがえられました。その御業によって、キリストは私たちに敵対するサタンと悪霊たちを打ち破られたのです(2:13〜15)。

だから、パウロはこう語ります。 「イエス様の十字架の御業に、自分の努力を加えようとしてはなりません。あなたがたはイエス様にあって、すでに満たされているのです。

ユダヤ人たちの伝統的な修行に戻ってはなりません。イエス様こそが実体であり、彼らの霊的な儀式や犠牲は、すべてその影に過ぎません。

祭りも、儀式も、すべてはイエス様を指し示していたのです。イエス様はすでに来られたのですから、その影ではなく、イエス様ご自身に目を向けなさい」(2:16〜17)。

そしてパウロは続けて語ります。

「偽りの宗教的体験に巻き込まれてはなりません。天使たちや他の被造物を拝んではならないのです。そんなことをすれば、キリストから離れてしまいます。キリストにあってこそ、あなたは成熟し、完全とされるのです。」

キリストにあって、あなたはすでに古い宗教的な経験に対して死んだのです。だから、それらに戻ってはいけません。

見た目には良さそうな宗教的ルールであっても、あなたの罪深い心を本質的に変えることはできないのです(2:20〜22)。

要するに――イエス様こそがすべてです。 満たされた人生を望むなら、イエス様を求めなさい。

でも、あなたは今、どうしているでしょうか。 あなたの根はどこに根ざしているのですか。イエス様ですか? それとも、他のものですか? あなたの人生の中心に、誰がいますか?

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