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コロサイ人への手紙

キリストの代表者として生きる

コロサイ人への手紙3:17-4:1

私は、ある英語の聖書翻訳者がコロサイ3:17をどのように訳しているかを、とても気に入っています。

ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの代表者として行いなさい。(コロサイ人への手紙3:17、NLTの翻訳)

「誰かの名前において行う」とは、「その人の代表者として行う」という意味です。その翻訳を読んだとき、私はこの言葉の重みを改めて認識しました。そして、続くパウロの教えも、あらためて深く心に留まりました。

妻たちよ。夫に対して、イエス様の代表者として、夫を敬い、従いなさい(3:18)。

夫たちよ。妻に対して、イエス様の代表者として、妻を愛しなさい。決して辛く当たってはいけません(3:19)。

子どもたちよ。両親に対して、イエス様の代表者として、従いなさい(3:20)。

父たちよ。子どもに対して、イエス様の代表者として、子どもを苛立たせてはいけません。それは、子どもたちが意欲を失わないためです(3:21)。

奴隷たちよ。イエス様の代表者として、あらゆることについて地上の主人に従いなさい。人のご機嫌を取るようなうわべだけの仕え方ではなく、主を恐れつつ、真心から仕えなさい(3:22〜25)。 (もちろん、日本には奴隷制度はありませんが、従業員たちはそのように仕えるべきでしょう。)

主人たちよ(現代で言えば、上司たちよ)。イエス様の代表者として、奴隷(現代で言えば、従業員)に対して、正義と公平を示しなさい(4:1)。

要するに、私たちはどのような人間関係においても、誰を代表しているのかを常に覚えていなければなりません。私たちはイエス様の代表者なのです。私たちの夫、妻、子ども、両親、従業員、上司に対して――私たちはイエス様の代表者として接しているのです。

夫を敬わないなら、あなたはどのような代表者でしょうか。

妻に辛く当たるなら、あなたはどのような代表者でしょうか。

両親に従わないなら、あなたはどのような代表者でしょうか。

子どもたちを苛立たせるなら、あなたはどのような代表者でしょうか。

いい加減に働くなら、あなたはどのような代表者でしょうか。

従業員たちに対して正義と公平を示すなら、あなたはどのような代表者でしょうか。

友人、隣人、同僚、そして教会の兄弟姉妹に対して、あなたはどのような代表者でしょうか。

周りの人々は、あなたのうちにイエス様を見ることができるでしょうか。それとも、ただあなた自身しか見ることができないのでしょうか。

あなたは、イエス様の代表者です。あなたは、良い代表者でしょうか。

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