もしかすると、これがパウロの最初の手紙の一通かもしれません。 おそらく、第2番目の宣教旅行の最中に、彼はこの手紙を書いたのでしょう。
パウロがこの手紙の中で言及している出来事は、『使徒の働き』第16章と第17章に記されています。 そこには、ピリピで彼が経験した困難や、テサロニケで何が起こったかが描かれています。
『使徒の働き』第17章によれば、テサロニケにいたユダヤ人たちは福音を嫌い、町の役人たちにパウロのことで様々な嘘を言いました。 そのため、パウロはテサロニケから逃げなければなりませんでした。
そうした状況の中で、テサロニケの信者たちもまた、迫害を受けていたようです。 パウロは、彼らの信仰が揺らいでいるのではないかと案じました。 そこで、彼はテモテを送り、彼らの信仰の様子を確かめさせたのです。
幸いなことに、彼らは迫害の中にあっても、信仰をまっすぐに保ち続けていました。
そのようなわけで、手紙の冒頭でパウロはこう言います。 「あなたがたのことを思って、私たちは神様に感謝しています。」
この言葉には、本物の信仰のしるしが表れています。 それはいったい何でしょうか。
パウロは、こう語りました。
私たちの父である神の御前に、あなたがたの信仰から出た働きと、愛から生まれた労苦、私たちの主イエス・キリストに対する望みに支えられた忍耐を、絶えず思い起こしているからです。(テサロニケ人への手紙第一1:3)
1.本物の信仰は、ただ座って何もしないようなものではありません。 本物の信仰は、やがて実を結びます。つまり、良い行いが現れるのです。
イエス様は、こう語られました。
あなたがたは彼らを実によって見分けることになります。。。良い木はみな良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。(マタイ7:16-17)
2.本物の信仰による行いは、神様や他の人々への愛から生まれます。
そのような信仰は、神様や人々に仕えることを強いられているのではありません。 また、ただの義務感から仕えるのでもありません。 むしろ、その信仰は喜びをもって仕えるのです。
3.本物の信仰は、将来に対する希望を抱いています。 その信仰は、イエス様がやがて再び来られ、正義をもってこの世を新しくされることを信じています。 だからこそ、その信仰は試練や迫害に直面しても、耐え抜くことができるのです。
パウロは、テサロニケの人々の中に、そのような信仰を見出しました。
けれども、本物の信仰には、ほかにも特徴があります。
4.本物の信仰が生まれるのは、人が福音を聞いたときに、聖霊様がその人の罪を示され、悔い改めへと導かれるときです。 言い換えれば、もし自分の罪を悔い改めずに、罪を犯し続けているなら、その人が本物の信仰を持っているとは言えません。
本物の信仰とは、自分の罪の重さを認め、 イエス様が十字架の上で支払われた代価の大きさを知り、 神様への深い感謝にあふれる心を持っている信仰なのです。(5)
5.本物の信仰は、聖霊によって、人を変える力を持っています。 聖霊様は、私たちの罪を指摘されるだけでなく、 新しい人生を歩むために、私たちの心そのものを新しくしてくださいます。(5)
聖霊様は私たちのうちに住んでおられ、日々、私たちを新しく造り続けておられます。
6.本物の信仰は、試練に直面しても、聖霊によって、喜びに満ちています。
7.本物の信仰は、自分の証しをまわりの人々に伝えていきます。 そして、周囲の人々は、そのような人の姿の中に、確かな光を見出すのです。(8)
その光とは、いったい何でしょうか。
それは、私たちがもはやこの世の神々には仕えないという証しです。 私たちは、もはやお金や財産、性やその他の一時的なものを追い求めては生きていません。
もちろん、それら自体がすべて悪いわけではありませんが、 私たちにとって、それらは人生の最終的な目標ではないのです。むしろ、私たちは、どんなものにもまさって、生けるまことの神に仕えているのです。
だからこそ、私たちはこの世にあるものではなく、天にあるものに心を向けます。 そして、天にあるものに目を留めるとき、 私たちは、愛と希望と、言葉では言い尽くせないほどの喜びを知るのです。
あなたは、どのような信仰を持っているでしょうか。
