イエス様の再臨について語った後、 パウロは、私たちが教会全体として、また一人ひとりのクリスチャンとして、 どのように生きるべきかを教えています。
まず彼は、私たちの人間関係について語ります。
そして最初に、教会のリーダーたちに関してこう述べます。
兄弟たち、あなたがたにお願いします。
あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人たちを重んじ、その働きのゆえに、愛をもって、この上ない尊敬を払いなさい。また、お互いに平和を保ちなさい。(テサロニケ人への手紙第一5:12ー13)
私たちは、自分の教会のリーダーたちを、 どれほど当たり前の存在として受け止めているでしょうか。 彼らが失敗したとき、私たちはどれほど彼らを批判し、 見下すような態度を取ってしまうでしょうか。
けれども実際には、私たちすべてに失敗はあります。 もし、誰もが私たちの生き方にスポットライトを当てていたとしたら、 私たちもまた、たびたび批判の的になっていたことでしょう。
もちろん、リーダーたちはより厳しい基準で量られるべきです。 それでも、パウロはこう語ります。
「リーダーたちを尊敬しなさい。 彼らは、あなたのために労苦しているのです。 あなたが知る以上に、彼らは労しているでしょう。
だから、彼らを尊敬するだけでなく、愛をもって、 この上ない尊敬を払いなさい。 彼らは神様とその御国のために、 そしてあなたのために、苦労しているのだから。」
では、なぜ私たちはそのようにするべきなのでしょうか。 それは、イエス様が間もなく戻って来られるからです。 今は、牧師の小さな失敗を一つひとつ取り上げて批判すべき時ではありません。
神様ご自身が、リーダーたちの責任を問われます。 裁くのはあなたではなく、神様です。だからこそ、リーダーたちの人生を苦しめるのではなく、 「互いに平和を保ちなさい。」(13b)
忘れないでください。 リーダーたちは、主にあってあなたを導く人たちです。 けれども同時に、彼らはあなたの兄弟であり、姉妹でもあるのです。
だからこそ、神様があなたやリーダーたちを導いておられるその中で、 彼らに逆らって戦うのではなく、共に働いていきましょう。
パウロは、さらにこう語ります。
兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠惰な者を諭し、小心な者を励まし、弱い者の世話をし、すべての人に対して寛容でありなさい。(14節)
批判の対象となるのは、牧師やリーダーたちだけではありません。 教会のメンバーたちもまた、ときに批判されることがあります。 もちろん、彼らが罪を犯しているのであれば、 私たちは正しく彼らを訓戒するべきです。
しかし、そのほかの人々は、 小心で、霊的な敵に脅かされていることもあります。 だからこそ、私たちは彼らを励まし、 彼らのそばに立って、ともに戦いましょう。 その困難な状況の中で、彼らを強めるのです。
また、体力的に、精神的に、感情的に、あるいは霊的に弱っている人もいます。 彼らは、私たちの兄弟であり姉妹なのです。 ですから、私たちは彼らを助けるべきです。
そして、イエス様が私たちに寛容でいてくださったように、 私たちも、互いに寛容であるべきです。 神様が私たちを見捨てずにいてくださるのなら、 私たちもまた、兄弟姉妹を見捨ててはなりません。
最後に、パウロはこう語ります。
だれも、悪に対して悪を返さないように気をつけ、互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うように努めなさい。(15)
教会の中においても、 人々が私たちを傷つけることはあります。 どうしても、相手を許せないと感じるときもあるでしょう。
しかし、私はもう一度、はっきりと言います。 主は再び来られます。 だからこそ、恨みや苦々しい思いを抱いてはなりません。彼らの裁きを、神様に委ねましょう。 そして、彼らに優しく接するのです。
それは教会の中に限ったことではありません。 教会の外でも、同じように生きましょう。 そうすれば、人々はイエス様の愛を目にして、 その愛に心を奪われるかもしれません。
主は、まもなく来られます。 あなたは、牧師やリーダーたちをどのように扱っているでしょうか。 兄弟姉妹をどのように扱っているでしょうか。 あなたの周囲の人々を、どのように扱っているでしょうか。
