テサロニケ人への手紙第一5:23〜24で、パウロはこう語りました。
平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。
あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。(テサロニケ人への手紙第一5:23〜24)
そして、この手紙では、パウロは似たことを言いました。そして、パウロは第二の手紙の中でも、似たことばを語っています。
どうか、平和の主ご自身が、どんな時にも、どんな場合にも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。
どうか、主があなたがたすべてとともにいてくださいますように。(テサロニケ人への手紙第二3:16)
テサロニケの人々は、さまざまな問題に直面していました。迫害を受け、愛する者たちが殺され、その人々が死後どうなったのかと疑問に思ったのです。
さらに、偽教師たちが教会に入り、「イエス様はすでにこの世に戻られた」と教えたことで、彼らは主の再臨を見逃したと思い、混乱に陥りました。
加えて、怠け者たちも教会に入り込み、さまざまな問題を引き起こしました。
パウロはそうしたすべての問題に応答したあと、テサロニケの人々が神の平和を知るようにと祈りました。
試練のただ中での平和のために祈り、愛する者を亡くしたときにも、平安があるように祈り、そして最後には、イエス様が必ずもう一度来られると彼らが確信をもって知り、平和を持つことができるように祈ったのです。
どんな状況に直面していても、神様が望んでおられるのは、私たちが平和を持つことです。では、私たちはどのようにして平和を知ることができるのでしょうか。それは、神様との関係を通してです。
神様が私たちを御自分の子どもとして受け入れておられることを知っているからこそ、私たちは平安を持つことができます。また、神様が始められたことを必ず完成してくださるという確信も与えられています。
それだけではなく、私たちは、神様が私たちを完全に聖なる者としてくださることを知っています。つまり、いつの日か、私たちが完全にイエス様の姿を映し出すようになると信じているのです。
さらに、たとえ大きな試練の中にあっても、神様は私たちを見捨てておられないと知っています。そしてその試練は永遠には続かず、主は再び来られ、神の正義をもたらされます。この真理によって、私たちは平安を得ているのです。
最後に、私たちは自分の罪を言い表し、神様の力によってその罪を捨てるとき、平和を知ることができます。
あなたは平和を知りたいと願っていますか。平和は、最初から最後まで、神様から与えられるものです。言い換えれば、平和は神様ご自身のうちにこそあるのです。
