この箇所は、聖書を信じるクリスチャンのあいだでも、最も議論を呼ぶ部分のひとつです。議論の焦点は、教会において女性が男性をリードしてもよいのか、特に、女性が主任牧師として仕えてもよいのか、という点です。
私の教会では、女性が主任牧師として仕えることを認めています。しかし一方で、今日の箇所に基づいて、女性は主任牧師として仕えてはならないと教えている教会もあります。
では、パウロが「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません」と語ったとき、彼が意図していたのは、どのようなことだったのでしょうか。
もちろん、パウロが女性は絶対に教えてはならないと言っているのではないことは明らかです。なぜなら、彼はテモテの祖母ロイスと母ユニケが、テモテに聖書を教えたことを称賛しているからです(第二テモテ1:5、3:14〜15)。
さらにパウロは、年配の女性たちが若い女性たちに教えることを望んでいました(テトス2:3〜4)。
さらに、パウロの言葉が「女性は男性に対して絶対に教えてはならない」という意味ではないこともわかります。なぜなら、使徒の働き18章26節では、ある夫婦がアポロという人物に対して、より正確な神の道を教えたと記されているからです。
このことから、パウロが“何を意味していないか”は明確です。
では、“何を意味していたのか”についてはどうでしょうか。ここが、非常に議論を呼ぶ点です。
そこで、今回と次回の記事では、2つの主要な解釈を見ていきます。それぞれの立場の良い点も、課題となる点も公平に見ていきたいと思います。ですから、私は皆さんに挑戦します。この問いをよく調べて、ご自身の結論を導き出してください。
まず1つ目の立場は、パウロの指示がテモテの教会、すなわちエペソの状況に限定されているという考え方です。
この立場によれば、当時エペソの教会では女性たちが偽教師に騙されており、その結果、彼女たちは公の場で教えたり、男性たちを導いたりすべきではなかったというのです。
では、この立場の根拠は何でしょうか。
第一に、エペソには偽教師が確かに存在していたことが、はっきりと記されています(1:3〜7)。
第二に、この立場は新約聖書の記述に基づいています。パウロ自身が女性たちと共に頻繁に奉仕していたことが示されており、ローマ書16章をはじめ、他の複数の箇所にその様子が記されています。
そして最後に、この立場を支持する人々による14節の解釈を見てみましょう。
パウロはこう語っています。
そして、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて過ちを犯したのです。(テモテへの手紙第一2:14)
ある解釈によれば、パウロが語った意図はこうです。エバがアダムから十分に教えられていなかったために、サタンに騙され、罪を犯してしまった。それと同じように、エペソの女性たちもまだ十分に教えられていなかったため、まずは静かに学ぶべきだった、というのです。
しかし、正しい教えを受けたあとは、彼女たちも教えることができたのだ、というのがこの立場の理解です。
もちろん、他にもさまざまな議論がありますが、これがこの見解における中心的な論点です。
明日、もうひとつの立場を取り上げて、この箇所についてさらに考えていきましょう。
