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テモテへの手紙第ー

福音の不思議さ

テモテへの手紙第一3:16

私はクリスマスが大好きです。それは、一年のうちで最も好きな季節です。イエス様がこの世に来られたという出来事は、まさに驚くべきことです。

けれども、私たちはその出来事を、当たり前のこととして受け止めてしまってはいないでしょうか。その出来事の不思議さについて、どれほど深く思い巡らしているでしょうか。

パウロは、その不思議さをよく理解していました。彼はこう語っています。

だれもが認めるように、この敬虔の奥義は偉大です。(テモテへの手紙第一3:16a)

敬虔の奥義。

パウロの時代、多くの人々は、敬虔の鍵は自分自身の努力にあると考えていました。彼らは、律法の実行や禁欲的な生活を通して敬虔になれると信じていたのです。また他の人々は、敬虔の奥義は、系図や想像の物語の中に見出されると考えていました(1:4)。

しかし、本当の敬虔は、宗教的な規則や自己修練によって生まれるものではありません。むしろ、それはイエス様とその十字架の働きによってのみ生じるのです。

パウロは、次のように記しています。

「キリストは肉において現れ、霊において義とされ、御使いたちに見られ、諸国の民の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」(16b)

神様は赤ちゃんとしてこの世に来られました。この世界を創造された神、自らの言葉によってすべてを保っておられる神、この宇宙の王であり源である方が、赤ちゃんとして来られたのです。

イエス様は、大工の子として育てられました。養父ヨセフが亡くなると、イエス様はその家族を支える責任を担われました。

その後、イエス様は家を離れ、ご自身の公の働きを始められました。福音を宣べ伝え、神様がどのような方であるかを人々に教えられ、また、御国の力を現されました。悪霊を追い出し、人々を癒し、死者たちをも復活させました。

群衆は、イエス様を王として迎えようとしました。けれどもそのわずか一週間後、彼らはイエス様を十字架につけてしまいました。

しかし、御霊によってイエス様は復活され、イエス様が力ある神の御子であることが証しされました。天使たちは復活の知らせを弟子たちに伝え、イエス様ご自身も彼らに現れ、その後、天に上げられたのです。

その後、弟子たちがその良い知らせをこの世界に伝えたことによって、今もなお、イエス様の御名は全地に宣べ伝えられ、多くの人々がイエス様を信じるようになっています。

この福音を通して、人々は神様に義と認められます。イエス様を復活させた神様の力によって、彼らの人生は変えられていくのです。

これこそが、福音の不思議さです。そしてまた、それがクリスマスの不思議さでもあります。

私たちが神様の教会として、真理の柱と土台となりますように。 その真理を、この死につつある希望のない世界に向かって、はっきりと伝えていきましょう。

私たちの心が鈍くならないように。この福音を、決して当たり前のものとして受け止めてしまわないように。

あなたはどうでしょうか。あなたは今もなお、福音を不思議に思っていますか。

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