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テモテへの手紙第ー

家庭で信仰を実践する

テモテへの手紙第一5:3-8

家庭において信仰を実践することは、何よりも大切なことだと思います。なぜなら、私たちは牧師や教会の兄姉に対しては、自分の本当の姿を隠すことができるかもしれませんが、家族にはそれが通用しません。

家族は、私たちの日々の言動を通して、本当の信仰の姿、本当の人柄を見るのです。家庭の中でこそ、私たちの心にあるものが現れるのです。

パウロもそのことをよく理解していました。彼がテモテに、やもめたちの支援について書いたとき、まずは彼女たちの家族に責任を果たすように命じたのです。

当時の教会は、やもめたちを積極的に支えていました(使徒の働き6章を参照)。けれども、家族がいる場合は、その家族がまず世話をすべきだとしたのです。

だからパウロは、テモテにこう語りました。

やもめの中の本当のやもめを大事にしなさい。(テモテへの手紙第一5:3)

それでもなお、パウロはさらにこう語っています。

もし、やもめに子どもか孫がいるなら、まずその人たちに、自分の家の人に敬愛を示して、親の恩に報いることを学ばせなさい。それが神の御前に喜ばれることです。(4)

敬虔な人生とは、家庭の外だけで見せるものではありません。 私たちは、家庭の中においても敬虔に歩むべきなのです。友人や職場の同僚に対する態度と同じように、家族に対して敬愛を示さなければなりません。

この真理を、パウロは8節で明確に強調しています。

もしも親族、特に自分の家族の世話をしない人がいるなら、その人は信仰を否定しているのであって、不信者よりも劣っているのです。(8)

もちろん、パウロは、家族の物理的な必要に備えることについて語っています。しかし、敬虔とはそれだけに限られるものではありません。私たちはむしろ、家族に対する忍耐や親切、寛容、そして愛を通して、自分の敬虔さを表すのです。

簡潔に言えば、私たちが家族をどのように扱っているかによって、私たちの敬虔さが現れているのです。もし家族の前で信仰を実践していないとすれば、私たちの信仰とはいったい何なのでしょうか。

とはいえ、そのように生きることは容易ではありません。前回も触れたように、私たちは友人を選ぶことはできますが、家族を選ぶことはできません。

しかも、友人と違って、家族とは同じ屋根の下で生活しています。だから、逃げられないがゆえに、腹立たしく思ってしまうことも起こりやすいのです。加えて、私たちには家族に対する特別な責任があります。

それでも、もし私たちが敬虔な者になりたいと願うのであれば、 まずは家族の前で敬虔に歩むべきなのです。そうしてこそ、私たちは真の敬虔さを証ししていることになります。

あなたは、敬虔な者として歩んでいますか。

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