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テモテへの手紙第ー

キリストのことばから離れているなら

テモテへの手紙第一6:3-21

現代において、多くの人々はキリストのことばに耳を傾けようとせず、それに従いたくもないと考えています。

また別の人々は、自分の都合に合わせてイエス様のことばの一部だけを受け入れ、残りは切り捨ててしまいます。

しかし、イエス様の弟子として生きる私たちは、そのような態度を取ることはできません。イエス様ご自身が、それをはっきりと教えておられました(マタイ7:21〜27)。

この真理を、パウロはテモテに力強く伝えました。そして彼はこう語ったのです。

違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと、敬虔にかなう教えに同意しない者がいるなら、その人は高慢になっていて、何一つ理解しておらず、議論やことばの争いをする病気にかかっているのです。

そこから、ねたみ、争い、ののしり、邪推、絶え間ない言い争いが生じます。

これらは、知性が腐って真理を失い、敬虔を利得の手段と考える者たちの間に生じるのです。(テモテへの手紙第一6:3-5)

おそらくパウロがこのことばを語ったとき、イエス様のたとえ話「岩の上に建てられた家と砂の上に建てられた家」を思い起こしていた可能性は高いでしょう。

なぜなら、イエス様とパウロの語る結論は非常に似ているからです。すなわち、イエス様に従わない者は、実は何も理解していないということです。彼らは自分が賢いと思い込み、自分の知恵を誇りますが、実際には愚か者なのです。

その愚かさは、彼らが生み出す「実」によって明らかになります。彼らの語ることばは、ねたみ、争い、ののしり、邪推、そして絶え間ない言い争いを引き起こします。彼らは「敬虔」ということばの意味をねじまげ、それを利得の手段として用いてしまうのです。

残念ながら、現代のアメリカのテレビで放送されている一部の伝道師の番組にも、こうした様子が見受けられることがあります。

だからこそ、パウロはテモテに強く戒めを与えたのです。

テモテよ、委ねられたものを守りなさい。

そして、俗悪な無駄話や、間違って「知識」と呼ばれている反対論を避けなさい。ある者たちはこの「知識」を持っていると主張して、信仰から外れてしまっています。(20-21)

簡単に言えば、「私はイエス様のことばをあなたにゆだねました。そのことばを守りなさい。そのことばを手放して、他の人々が『知恵』と呼んでいるものを受け入れてはなりません。むしろ、命をもたらすことばを教え、勧めなさい」(2〜3節)。

もし、誰かがイエス様のことばを攻撃してくるなら、そのことばを擁護しなさい。なぜなら、イエス様が再び来られるとき、あなたに託されたみことばについて、あなたは責任を問われるからです(13〜14節)。

あなたはどうでしょうか。たとえ牧師でなくても、神様はそのみことばをあなたに託しておられます。

あなたは、そのことばを堅く守っているでしょうか。それとも、この時代の文化があなたの確信を揺るがしているでしょうか。

この世の知恵を退けましょう。この世の傲慢さに惑わされて、キリストのことばから引き離されないように。

むしろ、自分の心の奥深くにキリストのことばを大切にとどめましょう。そして、イエス様のことばが非難されるときには、恐れずに堅く立ち、そのことばを語り続けましょう。

この世が語る教えは、やがて死に至ります。しかし、イエス様のことばは命へと導きます。

では、あなたは今、誰のことばを語り、誰の声に従っているでしょうか。

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