新約聖書では、第二テモテの後、パウロの手紙はあと二通あります。でも年代順位的に、これがパウロの最後の手紙です。
これはちょっと悲しく、感動させられる手紙です。なぜなら、この手紙を書いたとき、パウロは自分がもうすぐ殺されると知っていたからです。
ピリピ人への手紙を書いたときには、パウロは牢に入っていましたが、釈放される確信を持っていました。(ピリピ1:23-26)
しかし、この手紙を書いたとき、パウロはそのような希望を持っていませんでした。皇帝ネロが教会を迫害し始め、パウロは自分がすぐに処刑されると思いました。そして、結局そうなりました。
そういうわけで、パウロは愛している弟子テモテに最後の手紙を書きました。その理由の一つは、パウロが死ぬ前に、テモテが訪問してくれるように願ったことです。
けれども、それだけではなく、パウロはテモテが迫害と試練によって絶望しないように促したいと思いました。むしろ、パウロは、テモテが忠実に神様を愛し、神様に従い続けるよう望みました。
この手紙の最初から、私たちはパウロの心情を見て取ることができます。パウロは福音のための死刑囚でした。けれども、彼の最初の言葉はこうです。
神のみこころにより、またキリスト・イエスにあるいのちの約束にしたがって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから。。。(テモテへの手紙第二1:1)
「いのちの約束。」
パウロは自分の死亡に直面していましたが、「命の約束」という希望を持っていました。どうしてその希望を持っていたのでしょうか。
9-10節によれば、神様はイエス様を通してご自分の計画と私たちに対する恵みを現されました。そして、「キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。」
多くの人々は死後に何が起こるか分からないので死亡を恐れます。けれども、パウロは知っていました。パウロは天国を見たことがありました。(第二コリント12:1-4)
彼は、私たちが死んだ後にまだ生き続けることを知っていました。パウロは、イエス様が復活されたように私たちも復活して永遠に生き続けることを知っていました。その日、クリスチャンたちはこの歌を歌います。
死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。(第一コリント15:55)
パウロはその希望を持っていたので、神様から委ねられた福音を宣べ伝えました。また、その希望を持っていたので、苦しんでいても、パウロは確信を持ってこう言うことができました。
しかし、それを恥とは思っていません。なぜなら、私は自分が信じてきた方をよく知っており、また、その方は私がお任せしたものを、かの日まで守ることがおできになると確信しているからです。(12節)
パウロが知っていたのは、自分の苦労は空しいものではないことです。むしろ、パウロはそのすべてを神様の手に委ねて、報いを得る希望を持っていました。
その確信を持っており、またテモテも同じ信仰と同じ御霊を持っていることを確信していたため、パウロはテモテにこう語りました。
そういうわけで、私はあなたに思い起こしてほしいのです。私の按手によってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。
神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。(6-7節)
もしかしたら、エペソの教会の問題のため、また、パウロがすぐに殺されるニュースのため、テモテは圧倒されたかもしれません。もしかすると、テモテはあきらめるように誘惑されたかもしれません。
けれども、パウロはテモテを励ましました。
「テモテ、神様は御霊をおまえにも与えてくださいました。そして、御霊は、臆病の霊ではありません。むしろ御霊は、あなたの人生と奉仕において、あなたを神様の力と愛で満たし、イエス様に忠実に仕える力を与えてくださいます。」
そういうわけで、パウロはテモテに訓戒しました。
ですからあなたは、私たちの主を証しすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。(8節)
また、
あなたは、キリスト・イエスにある信仰と愛のうちに、私から聞いた健全なことばを手本にしなさい。自分に委ねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって守りなさい。(13-14節)
簡単に言うと、「あきらめてはいけません。あなたは一人で、自分の力によって神様に仕える必要がありません。私はこの世を立ち去るかもしれないけど、聖霊様はあなたのうちに住んでおられ、あなたを助けてくださいます。」
あなたはどうですか。この世の状況を見て、絶望しているのでしょうか。周りの不敬虔な人たちを見て、悲しんでいるのでしょうか。自分の信仰のためにあなたはいろんなトラブルに直面しているのでしょうか。
絶望しないでください。神様にはご自身の計画があり、その計画は決して阻まれることがありません。サタンはその計画を阻止しようと思って、十字架で勝ったと思いました。しかし、十字架は実際にサタンの敗北でした。
だから、今私たちは永遠のいのちという希望を持っています。神様はそのいのちを約束してくださいましたので、それは確実なものです。
だから私たちが教えられたことを握り、信仰によって歩みましょう。また、キリストの愛に満たされて、その愛を周りの人々に与えましょう。
