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テモテへの手紙第二

うわべだけの敬虔さ

テモテへの手紙第二3:1-9

この世では、たくさんの宗教的な人たちがいます。彼らは教会やお寺や神社などに行って、儀式を行い、祈り、聖句を読み、献金さえもささげます。彼らは非常に敬虔な人のように見えます。ところが、神様は実際には彼らを受け入れておられません。

なぜでしょうか。なぜなら、彼らの敬虔さはうわべだけのものだからです。彼らは、敬虔な見かけを持っていますが、その敬虔さは自分の努力によるものです。

また、ある人は自分の心の中の偽善を隠しています。けれども、その皆が、自分の生活で神様の力を否定しています。

ある人々は神様自身を否定します。彼らはイエス様にある真理を拒絶します。むしろ、彼らは仏やムハンマドや他の宗教的なリーダーたちの教えに従います。

もちろん、そのリーダーたちの教えの中で真理の部分もありますが、彼らが否定するのは、イエス様が天の父へのただ一つの道であることです。

その皆がイエス様とその十字架の働きを拒絶するので、神様の目には、彼らの義はみな、不潔な着物のようです。(イザヤ64:6)

さらに、彼らは、自分たちを本当の義人に変えることができるイエス様の復活の力を拒絶します。

他の人たちは自分がクリスチャンと自称し、イエス様に従うと主張します。けれども、彼らはただクリスチャンのふりをしています。

彼らは実際に、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒瀆し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者です。

また、彼らは情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者です。

さらに、彼らは人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛します。(テモテへの手紙第二3:2-4)

それでも、彼らは敬虔な見かけを持っています。彼らは教会に行ったり、微笑んだり、祈ったり、歌ったり、献金をささげたりしますが、彼らは空っぽで、神様の力を全然知らない者です。

その人々の間に、教師たちもいます。

パウロはその人たちをヤンネとヤンブレというエジプトの呪法師たちと比べます。ヤンネとヤンブレはエジプトの神々の力を振るうと自慢しましたが、彼らが生きておられる神と向き合うと、彼らの主張は空しいものと証明されました。

他の人たちは「弟子」と称しますが、彼らはいつも学んでいるのに、いつまでも真理を知ることができません。なぜなら、彼らは実際に心の中で真理を拒絶しているからです。彼らは自分が聞きたいことを受け入れますが、それ以外を捨ててしまいます。

イエス様を拒絶すると、あなたは自分の敬虔さを自慢することはできません。もし、自分の敬虔さがただ心の中の罪を隠すだけなら、それは本当の敬虔ではありません。

パウロは困難な時代が来ると警告しました。パウロによれば、その時代にはうわべだけの敬虔を持っている人たちがたくさんいます。実は、その時代はもう来ています。

そして、イエス様が帰って来られると、麦と毒麦を分別されます。つまり、本当の敬虔さを持っている人たちとうわべだけの敬虔さを持つ人たちを分別されます。

本当の敬虔さを持っている人たちは、神様の力でだんだんイエス様の形のように変えられていきます。

イエス様が帰って来られてあなたを見ると、イエス様はあなたについて何と言われるでしょうか。

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