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ピレモンへの手紙

私たちの信仰が本物なら

ピレモンへの手紙

第二コリント5:16ー17では、パウロはこう書きました。

ですから、私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。

かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(第二コリント5:16-17)

パウロの言葉から、私たちは本物の信仰の実を見ることができます。それは、私たちがどのようにキリストや周りの人々を見なすかが変わることを指しています。

ピレモンへの手紙は、その真理を明確に描いています。

ピレモンはコロサイの教会のリーダーであり、その教会はピレモンの家で集まっていたようです。けれども、その時代には奴隷制が広く存在していました。ローマ帝国では、おそらく人口の3分の1が奴隷でした。

時々、どうしてパウロや他のクリスチャンのリーダーたちが奴隷制を直接批判しなかったのか疑問に思う人もいます。

もしかすると、パウロたちは奴隷制を政治的手段で終わらせることができないと理解していたのかもしれません。むしろ、神様が福音によって一人ひとりの心を変えることで、最終的に奴隷制が廃止されると信じていたのではないでしょうか。

もし私たちクリスチャンが自分の国を変えたいと願うなら、その真理を心に留めるべきです。

もちろん、政治参加は重要ですが、政治や新しい法律だけでは人々の心を変えることはできません。福音こそが人々の心を変え、この社会をも変える力を持っています。

さて、パウロがローマで軟禁されていたとき、オネシモという人物と出会いました。どのように彼らが出会ったのかは定かではありませんが、オネシモはパウロを通してクリスチャンになったようです。(10)

そして、オネシモの信仰が成長するにつれて、彼はパウロと共に仕え、パウロの親しい友人となりました。

しかし、オネシモには大きな問題がありました。つまり、彼は奴隷であり、主人から逃げていたのです。オネシモがクリスチャンになったことで罪悪感を抱くようになり、自分の主人のもとへ戻らなければならないと感じるようになりました。

けれども、ローマの法律では主人に逃亡した奴隷を殺す権利がありました。したがって、主人のもとへ戻ることでオネシモが殺される可能性がありました。

それを理解していたオネシモは、パウロと相談しました。

そして、パウロはオネシモの主人の名前を聞いて驚きました。その主人は、パウロの親友であるピレモンでした。ピレモン自身もパウロによって福音を受け入れ、クリスチャンになったようです。(10)

そこで、パウロはオネシモのためにピレモンに手紙を書きました。

使徒として、パウロはピレモンにオネシモについて命じることもできましたが、彼はその方法を取らず、愛する親友としてピレモンに願いました。

では、パウロはピレモンに何を言ったのでしょうか。

彼はピレモンに、神様がその状況をもたらしたのだと語りました。(15-16)

もちろん、神様はオネシモに「逃げなさい」と命じられたわけではありません。オネシモは自分の意思で逃げ出し、ピレモンと神様に罪を犯しました。

けれども、神様はオネシモに触れ、彼をパウロのもとへ導いてくださいました。その結果、オネシモはもはや役に立たない者ではなく、役に立つ者となりました。特に、パウロの奉仕において、オネシモは重要な働き手となりました。(11-13)

(ちなみに、「オネシモ」という名前には「役に立つ者」という意味があります。)

そのようなわけで、パウロはピレモンに言いました。「今のオネシモは、以前あなたから逃げたオネシモとは違います。彼はただの奴隷ではなく、イエス様にあって新しく造られた者です。それに、彼はあなたの兄弟となりました。」(16)

そして、パウロは続けてこう言いました。

もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。

私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています。

あなたが、あなた自身のことで私にもっと負債があることは、言わないことにします。(18-19)

この言葉で、パウロは二つのことをしました。

一つ目は、パウロがオネシモがピレモンから盗んだものを償うために払うと申し出たことです。けれども、その申し出を通して、パウロはピレモンに間接的に思い出させました。「イエス様もあなたの罪の負債を十字架で支払ってくださいました。」

もちろんピレモンはパウロの働きによってクリスチャンになりました。けれども、イエス様がピレモンの罪の代価を支払われたのです。だからこそ、ピレモンはイエス様から恵みを受け、赦されているように、オネシモに恵みを与え、彼を赦さなくてはなりませんでした。

ピレモンはどのように反応したでしょうか。それについての記録はありません。けれども、パウロはピレモンが正しいことをするという確信を持っていました。(21)

なぜでしょうか。なぜなら、ピレモンも新しく造られた者だったからです。パウロは、自分がオネシモを見なしたように、ピレモンもオネシモを見なすという確信を持っていました。

あなたはどうでしょうか。あなたの信仰は本物のものでしょうか。もしあなたの信仰が本物なら、キリストと周りの人々への見方が変わるはずです。

赦された者として、あなたも周りの人々を赦すはずです。

また、イエス様に愛され、受け入れられた者として、周りの人々を愛し、受け入れるはずです。

あなたはどのような信仰を持っているでしょうか。

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