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ヘブル人への手紙

私たちも

へブル人への手紙12:1-2

私はジョギングがあまり好きではありません。健康のために走ることはありますが、楽しいとは感じません。

しかし、クリスチャンとして、私たちは神の国のレースに招かれています。

ある意味で、私たちはすでに神の国に入っています。イエス様は「神の国はあなたがたのただ中にある」と言われました(ルカ17:21)。

そして私たちは、毎日御国の市民として歩むべきです。私たちの王とそのご計画のために仕えるべきなのです。

やがて、本格的な御国がこの世に到来します。クリスチャンとして、私たちはその日を慕い望んでいます。

信仰を持っていた偉大な男性や女性たちも、御国を慕い求めながら働きました。そして、この手紙の著者は、私たちが御国のために仕えるように勧めています。

この手紙の読み手たちは、自分の信仰ゆえに苦しんでいました。ある人々は迫害を受けました。ほかの人々は、自らの罪や疑いと格闘しました。さらにある人々は、世のものに心を奪われていました。

だから、この著者は彼らにこう言いました。

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。(へブル人への手紙12:1)

「私たちも。」

11章で、この著者は、信仰を持っていた「ヒーローたち」について語りました。

しかし彼らも、私たちと同じように、まとわりつく罪を捨てなければなりませんでした。彼らは疑いの重荷やこの世のものへの愛を捨てなければなりませんでした。彼らがそれを行ったからこそ、神様は彼らを称賛されたのです。

だから、私たちも彼らの模範に倣い、罪、疑い、そしてほかの重荷を捨て、このレースを走らなければなりません。

同時に、私たちは前方を見なければなりません。私たちの前に何があるでしょうか。

それはイエス様です。イエス様は私たちの信仰の創始者です。

別訳では「先駆け」とも訳されます。イエス様は天の父への道を備えてくださいました。十字架によって、私たちは赦され、神様との平和を得ることができるのです。

さらに、イエス様は私たちの信仰の完成者です。今の私たちは不完全であり、罪や疑いと戦っています。それでも、私たちが完全にされるその日まで、イエス様は私たちのうちで働き続けてくださいます。

だから、どんな試練や戦いに直面していても、イエス様から目を離してはなりません。

自分の状況に目を向けると、落胆するのは簡単です。この世の悪や自分の罪を見て、失望するのも簡単です。

しかし、それらから目を離しましょう。むしろ、イエス様から目を離してはいけません。

そして走りましょう。走ることを妨げるものがあるなら、それも捨てましょう。とくに、自分の罪を捨てましょう。

神様の恵みによって、イエス様は私たちを御国へと導いてくださいます。

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