試練が好きな人は誰もいないでしょう。でも、神様は私たちの人生にその試練を許されます。
なぜでしょうか。この手紙の著者はその理由を説明しています。
霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。(へブル人への手紙12:10)
私たちは壊れた人間であり、壊れた世界に住んでいます。けれども、神様の目的は、私たちを癒し、ご自身の計画どおりに完全な者へと造り変えることです。
神様は私たちの汚れを清めてくださいます。なぜなら、神様は私たちが神のかたちに倣って聖なる者とされることを望まれているからです。神様は、私たちがご自身の完全な反映となることを願っておられます。
そのために、神様は火によって私たちを精錬されます。その火の中で、私たちの性格が現れてきます。
性格は、良い時だけでなく、苦しい時にも表れます。もし私たちの性格が整えられていれば、試練の中でその良い性格が表れます。ヨブがその一例です。
しかし、性格に歪みがあれば、試練によってそれも露わになります。サウル王がその一例です。
私たちが自分の性格を見つめるとき、そこには選びが与えられます。
私たちは罪深く不敬虔な者として生き続けることもできます。
あるいは、神様に向かってこう叫ぶこともできます──「神様、私は惨めな者です。私を救ってください。私を変えてください。」
そのとき、私たちは神様の驚くべき恵みだけでなく、人を変えることのできる神様の力も知るのです。
さらに、私たちが神様の声に耳を傾け、信仰によって従っていく中で、神様は私たちの性格をイエス様のかたちに造り変えてくださいます。
それは常に楽しいプロセスでしょうか。通常はそうではありません。だからこそ、この手紙の著者はこう言います。
すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。(11)
では、私たちは神様の火の中にいるとき、どうすれば良いでしょうか。最初に、イエス様に向かいましょう。
イエス様が私たちの救いのプロセスを始め、それを完成させることを覚えていましょう。イエス様は私たちにこうは言われません──「私はあなたに自分を更生する道具を与えました。頑張ってね。」
むしろ、イエス様はこう言われます──「私はあなたに、その道具の使い方を教えてあげます。」
そして、一歩一歩の歩みにおいて、イエス様は私たちと共にいて助けてくださいます。私たちが完成されるまで、イエス様は働き続けてくださいます。
その上で、覚えていてください──イエス様ご自身も苦しみを経験されました。イエス様は十字架の苦しみに耐えられました。だからこそ、人生の辛さをご存知なのです。
そして、天の父はイエス様の信頼に報いて、今イエス様は御座にあって父なる神の右に座しておられます。
イエス様の模範に従って、天の父に信頼して試練を耐えると、私たちは天の父からの報いを得て、天国でイエス様の隣に座ります。
もう一つのことを覚えておきましょう。あなたの苦しみには意味があります。
その意味は何でしょうか。神様はあなたのことを嫌っておられるのでしょうか。あなたを苦しませたいと思っておられるのでしょうか。
違います。神様はあなたを愛しておられ、あなたの最善を望んでおられるゆえに、あなたを訓練されるのです。
もしかすると、あなたのお父さんがそのような愛をもってあなたを訓練してくれたことがあったかもしれません。けれども、そうでなかった方もいるでしょう。
お父さんが正しくない方法で、あるいは正しくない動機のまま、あなたを躾けたかもしれません。しかし、神様の動機と訓練の方法は、常に清く、いつも愛に満ちています。
ですから、弱った手と衰えた膝をまっすぐにしなさい。また、あなたがたは自分の足のために、まっすぐな道を作りなさい。
足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろ癒やされるためです。(12-13)
要するに、私たちは正しい道を歩まなければなりません。神様が示してくださった道をたどりましょう。
あなたの足は不自由です。もし、自分勝手な道を進み続けるなら、あなたの状況はさらに悪化します。しかし、神様の道を歩むなら、癒しに出会います。
その道は簡単ではないかもしれません。苦しいかもしれません。でも最終的には、癒しに至るのです。
では、あなたはどうしますか。
