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ヘブル人への手紙

私たちの遺産

へブル人への手紙12:16-29

前回の記事で、私たちはこの警告に目を留めました。

また、だれも、一杯の食物と引き替えに自分の長子の権利を売ったエサウのように、淫らな者、俗悪な者にならないようにしなさい。

あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を受け継ぎたいと思ったのですが、退けられました。

涙を流して求めても、彼には悔い改めの機会が残っていませんでした。(へブル人への手紙12:16-17)

多くの人々はエサウのようです。神様は彼らに、神の子とされる権利、また神の相続人とされる権利を差し出しておられるのに、彼らは自分の罪やこの世のものに心を奪われ、その遺産を拒んでしまいます。

では、なぜ彼らの拒みはそれほど深刻なのでしょうか。それは、その遺産が尊く、私たちがそれを受けるために、イエス様が高価な代価を払われたからです。

この手紙の著者は、こう続けます。

あなたがたが近づいているのは、手でさわれるもの、燃える火、黒雲、暗闇、嵐、ラッパの響き、ことばのとどろきではありません。

そのことばのとどろきを聞いた者たちは、それ以上一言も自分たちに語らないでくださいと懇願しました。

彼らは、「たとえ獣でも、山に触れるものは石で打ち殺されなければならない」という命令に耐えることができませんでした。

また、その光景があまりに恐ろしかったので、モーセは「私は怖くて震える」と言いました。(18-21)

神様がシナイでご自身をイスラエルの民に現され、素晴らしい遺産を約束し、彼らと契約を結ばれたことは、本当に恐れを抱かせる出来事でした。

イスラエルの民は燃える火、黒雲、暗闇、嵐を目にし、言葉のとどろきを耳にしました。

そして神様は彼らにこう警告されました。「この山に近づいてはならない。動物であってもこの山に触れたなら、その動物は殺されなければならない。」

モーセ自身も、その山で神様に近づくことを恐れました。

しかし、その山は物理的なものでした。それはこの世のものであり、その契約によって彼らが受けた遺産も一時的なものでした。

けれども今、私たちは別の山に近づき、別の契約を受け、そして永遠の遺産を受けています。この手紙の著者はそのことを説明しています。

しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る、注ぎかけられたイエスの血です。(22-24)

その違いに注目してください。私たちは物理的な山ではなく、天上の山と都に赴き、神様に近づくのです。神様に近づくとき、私たちは恐れる必要はありません。むしろ、大きな喜びをもって近づくことができます。では、なぜでしょうか。

確かに神様はすべての人々を裁かれます。けれども、イエス様は私たちの仲介者です。ご自身の血によって、イエス様はその契約を有効にされました。

アベルの血は正義や復讐のために叫びますが、イエス様の血は赦しと憐れみを宣言します。

ですから、私たちが神様の御前に立つとき、震えることなく、恐れずに立つことができるのです。そして、神様の恵みに驚きと賛美をもって応えるのです。

いつかこの世は揺り動かされ、すべての古いものは取り除かれます。しかし、私たちは決して揺り動かされない永遠の御国を受けているのです。

神様はこのすべてを私たちのために備えてくださいました。だから、エサウのようになってはいけません。イエス様が高価な代価によって買い取ってくださった遺産を拒むことがあってはなりません。

あなたはどうでしょうか。神様はあなたに永遠の命を差し出しておられます。その命を受け取りませんか。

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