私たちのための神様の計画と意図は何でしょうか。
一言で言えば、「完全さ」です。
つまり、私たちの神様との関係は完全なものとなり、人間関係も完全となることです。そして、人生のあらゆる側面において、私たちが完全へと導かれることです。
これは心強い言葉でしょう。誰もが完全な人生を望むものです。
しかし、次のことを考えると、心強さが薄れるかもしれません。それは、私たちが完全な者へと変えられるために、多くの試練に直面しなければならないということです。
だから、多くの人々はヤコブの言葉を受け入れることが難しいと感じるのです。ヤコブはこう言いました。
私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。(ヤコブの手紙1:2-3)
この上もない喜びなのですか?試練に会う時に?
そうです。この上もない喜びです。なぜでしょうか。なぜなら、その試練は忍耐を生み出すからです。では、なぜ忍耐はそれほど重要なのでしょうか。
その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。(4)
簡単に言えば、完全へと至る道は、試練を耐え抜き、乗り越える道です。その試練を通して、私たちは自分の知恵と力に頼る習慣を手放すことを学びます。
なぜ私たちの人生はこれほどまでに壊れているのでしょうか。それは、私たちが常に自分の力と知恵に頼ってきたからです。しかし、試練によって、その生き方の空しさを学ぶことになります。
神様に向かい、神様に信頼し、その道を歩み、試練を耐え忍ぶと、私たちは完全な者へと変えられます。私たちの神様との関係、人間関係、そして人生のあらゆる側面が完全へと導かれるのです。
だから、ヤコブは私たちにこう語ります。
あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。
ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
その人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういう人は二心を抱く者で、歩む道すべてにおいて心が定まっていないからです。(5-8)
それを読むと、へブル人への手紙第1章6節が思い浮かびます。。
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。
完全になりたいと思うなら、一つのことをしなければなりません。それは、神様に信頼することです。
もし神様が私たちの最善を望んでおられることを疑うなら、私たちは決して神様に従うことができません。そして、神様に従わなければ、私たちの人生は壊れたまま続いてしまいます。
あなたはどうでしょうか。完全な人生を求めているのに、自分の知恵と道にしがみついてはいませんか。もしそうなら、あなたの人生は決して癒されることはありません。むしろ、その道は壊れた人生と絶望へと向かうことになります。
けれども、神様に信頼すると、神様が試練の中であなたを導き、最後には成熟した完全な者へと変えられるのです。
あなたはどう選ぶでしょうか。
