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ヤコブの手紙

真の信仰がどのように表現されるか(5)

ヤコブの手紙3:2-12

私はこの記事に「舌」と名付けることもできました。けれども、それは少し奇妙なタイトルに思えました。

さらに、この箇所がヤコブのより大きな議論の一部であることを、自分自身に思い出させたかったのです。つまり、真の信仰とは、愛と清さ、そして言葉を通して表現されるものなのです。

今日の箇所では、ヤコブは1章26節で述べた話を続けます。その聖句で、ヤコブはこう言いました。

自分は宗教心にあついと思っても、自分の舌を制御せず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。(ヤコブの手紙1:26)

私は以前にも言いましたが、私たちの言葉は、私たちの心の状態を表します。

時々、人々は誤ったことを口にした後、「失礼しました。つい言ってしまいました」と言います。

しかし、なぜその言葉が出てしまったのでしょうか。それは、その言葉がすでに心の中にあったからです。何の根拠もなく突然出てきたのではありません。その言葉は心に深く根付いており、時が来ると現れるのです。

私たち全員の心の中には罪があるため、ときに思わず悪いことを口にしてしまいます。

だから、ヤコブはこう言いました。

私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです。もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です。(2)

私たちは行動するよりも先に、言葉を発してしまうことがよくあります。そのため、もし私たちが成熟し、自制心を持って決して悪いことを言わないようになるならば、おそらく悪い行動をも慎むことができるでしょう。

しかし、この世に生きている限り、私たちの心には罪があるのです。

だから、ヤコブはこう言います。

どのような種類の獣も鳥も、這うものも海の生き物も、人類によって制することができ、すでに制せられています。(7)

私たちの言葉は、自分の人生を形成するだけでなく、周囲の人々の人生にも影響を与えます。くつわによって馬を操るように、また舵によって船の方向を変えるように、私たちの言葉は人の人生を良い方向にも悪い方向にも導くことができるのです。

しかし、残念ながら、私たちはしばしば言葉によって人々を悪い方向へと向かわせてしまいます。ヤコブは、舌を「大きな森を燃やす小さな火」にたとえています。

私たちの言葉は、自分自身の人生を破滅へと向かわせる恐れがありますし、他者の人生をも破壊する可能性があります。だからこそ、ヤコブは「舌はゲヘナ(つまり地獄)の火によって焼かれる」と警告しています。

言葉によって、人は職を失います。言葉によって、夫婦の関係が壊れます。言葉によって、子供は傷つきます。言葉によって、友人関係も壊れてしまいます。それでも、私たちは往々にして不注意のために言葉を発してしまいます。

そのため、ヤコブは舌を「死の毒で満ちているもの」と呼ぶのです。

ヤコブはこう言います。

私たちは、舌で、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌で、神の似姿に造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。

私の兄弟たち、そのようなことが、あってはなりません。(9-10)

言い換えると、私たちは「神様を愛している」と言いながら、どうして神様の似姿に造られた人を侮辱することができるのでしょうか。

ヤコブはこの話を次のようにまとめています。

泉が、甘い水と苦い水を同じ穴から湧き出させるでしょうか。私の兄弟たち。いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりすることができるでしょうか。塩水も甘い水を出すことはできません。(11-12)

もちろん、泉は甘い水と苦い水を同時に湧き出させることはありません。しかし、私たちの心に罪があるため、良い言葉も悪い言葉も私たちの口から出てしまいます。

だから、自分の言葉を制御できないと感じるなら、その言葉の源について考えてみてください。あなたの心には何が入っているでしょうか。

苦々しい思いや怒り、見苦しいものが心に宿ってはいないでしょうか。それらをイエス様の手に委ねるまで、自分の言葉を完全に制御することはできません。

だから、ダビデのように祈りましょう。

私の口のことばと私の心の思いとが御前に受け入れられますように。主よ。わが岩、わが贖い主よ。(詩篇19:14)

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