今日の箇所では、ヤコブは「舌」についての話から一旦離れ、真の信仰がどのように表現されるかについての三つ目の方法を語ります。それは、清さです。
ヤコブは先に、本当の宗教に欠かせないものの一つとして、この世の汚れに染まらないよう注意することを挙げました。
そして今日の箇所では、その意味を具体的に説明しています。
この手紙の読み手の中には、教師になりたいと願う人が多かったようです。けれども、ヤコブは彼らに警告しました。
私の兄弟たち、多くの人が教師になってはいけません。あなたがたが知っているように、私たち教師は、より厳しいさばきを受けます。(ヤコブの手紙3:1)
そして、ヤコブは彼らに言いました。「あなたたちは教師になるのに十分な知恵と分別を持っていると思うでしょうか。
自分の心を探りなさい。あなたたちの多くは、苦々しい妬みや利己的な思いを抱いています。その『知恵』は神様からのものではなく、サタンからのものです。そして、その『知恵』はあらゆる邪悪な行いへと至ります。」(13-16)
その後、ヤコブは彼らの問題の根本を指摘します。それは、彼らがこの世の汚れに染まってしまっているということです。
ヤコブは彼らにこう言います。
あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るのでしょうか。ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う欲望から出て来るのではありませんか。
あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、人殺しをします。熱望しても手に入れることができないと、争ったり戦ったりします。
自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです。求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。(1-3)
言い換えると、「自分自身を振り返りなさい。あなたたちはこの世に執着し、自分より多くのものを持っている人を憎み、ねたんでいます。そのため、いつも彼らと争っています。
この世に対する愛は、彼らとの関係に影響を与えるだけでなく、あなたの神様との関係にも影響を及ぼしています。あなたが祈る理由は、ただ神様から多くのものを求めることだけです。けれども、神様はそのような自己中心的な祈りには答えません。」
そして、ヤコブは彼らを厳しく戒めます。
節操のない者たち。世を愛することは神に敵対することだと分からないのですか。
世の友となりたいと思う者はだれでも、自分を神の敵としているのです。(4)
翻訳者たちはヤコブの言葉を控えめに訳しました。けれども、ヤコブは旧約聖書の預言者たちのように、読者を売春婦になぞらえています。(エゼキエル書16章やホセア書がその例です。)
私たちがこの世を愛すると、神様の妬みをかき立ててしまいます。(5)
一般的に、私たちは妬みを悪いことだと考えます。けれども、正しい妬みもあります。夫や妻が伴侶の不倫を知ったときに感じる妬みは、その関係に対する深い愛と絆から生じるものです。
同じように、私たちは神様に属しています。そのため、もし私たちが神様に背を向け、この世のものを追い求めるならば、神様は妬みを抱かれるのです。
しかし、私たちが神様のもとへ戻るならば、神様はいつも恵みを与えてくださいます。(6)
だから、ヤコブはこう言います。
ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。
罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。(7-9)
あなたはどのような信仰を持っているでしょうか。あなたの信仰は二心のものではないでしょうか。あなたは神様を信じると主張しながらも、売春婦のようにこの世のものを追い求めてはいないでしょうか。
私たちは神様の聖なる祭司として召されました。祭司たちは神様に近づく前に自らの手を清めました。それと同じように、私たちも霊的な手の汚れを洗い、心を清めなければなりません。私たちはこの世に対する愛を捨て、悔い改めなければならないのです。
あなたはどうでしょうか。あなたの心はこの世の汚れに染まってしまっているでしょうか。それとも、あなたの心は神様だけに属しているでしょうか。
