この手紙の冒頭で、ヤコブは、神様が試練を通して私たちを成熟させ、完全にされることについて語ります。
その後、ヤコブは、成熟した信仰がどのように表現されるかを示します。つまり、真の信仰によって、人々は愛や清さ、そして正しい言葉を持って成長するのです。
これは、神様が私たちに望まれる計画です。神様は、私たちがキリストに近づき、イエス様のようになることを願っています。
そして、この箇所では、ヤコブは私たちが試練をどのように扱うべきかについて再び語ります。
一見すると、ヤコブは4章の話を続けながら、クリスチャンの資産家たちを非難しているように思えます。
しかし、実際には、ヤコブは旧約聖書の預言者たちと同じように、神様の民を苦しめ、迫害する者たちを責めているのではないでしょうか。
ある金持ちたちは自分の富を握りしめ、働き手に正当な賃金を支払うことを怠りました。また、彼らは貪欲と自堕落によって、人々を裁いたり、殺したりしました。そのため、ヤコブは彼らに警告します。「裁きの日は迫っています。」
そして、ヤコブは苦しんでいるクリスチャンたちに向かって、こう語ります。
ですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。
あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。(ヤコブの手紙5:7-8)
簡単に言えば、忍耐には信仰が伴います。私たちが信じるべきなのは、神様が正義の神であり、いつかその正義をもたらされるということです。
農夫が神様が作物のために雨を備えてくださることを信じるように、私たちもまた、神様が私たちの望む正義を備えてくださることを信じなければなりません。そして、信仰を持って待ち望みながら、私たちは義の実を結ぶのです。
しかし、時として、それは難しいことです。私たちはフラストレーションを感じ、神様に怒りを抱き、兄弟姉妹にも怒りを向けてしまうことがあります。そのため、ヤコブは私たちに警告します。
兄弟たち。さばかれることがないように、互いに文句を言い合うのはやめなさい。見なさい。さばきを行う方が戸口のところに立っておられます。(9)
もし私たちが忍耐を失い、怒りに身を任せ、互いに責め合うならば、神様は私たちに責任を問われます。
見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。(11)
預言者たちの人生を見ると、彼らの多くが大変な苦しみを経験していたことが分かります。それでも、周りの人々に憎まれたとしても、彼らは忠実であり続け、主の御言葉を述べ伝え続けました。
ヨブも同じでした。彼は激しい苦しみを味わい、その理由をまったく理解できませんでした。それでも、彼は信仰を捨てませんでした。そして最終的に、神様はヨブとすべての預言者たちを賞賛されたのです。
だからこそ、ヤコブは私たちに語ります。「あなたの試練から学びなさい。忍耐を保ちなさい。」
すべてが順調なとき、「神様は良い方だ」と言うのは簡単です。けれども、試練の中でそれを言うことは、はるかに困難です。
最後に、ヤコブはこう語ります。
私の兄弟たち。とりわけ、誓うことはやめなさい。天にかけても地にかけても、ほかの何にかけても誓ってはいけません。
あなたがたの「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」でありなさい。そうすれば、さばきにあうことはありません。(12)
つまり、どんなに困難な状況に直面しても、自分の高潔さを保たなければならないということです。
試練があなたの高潔を奪うことを許してはなりません。常に正直さをもって語り、生きるべきです。そうしなければ、あなたの証しは汚されてしまいます。
あなたは試練に直面したとき、どのように反応するでしょうか。神様に怒りを抱くでしょうか。それとも、周りの人々に怒りを向けるでしょうか。その試練によって、あなたの高潔は失われているかもしれません。
あるいは、あなたは堅く立ち、神様が良い方であり、あなたを救い出してくださることを信じ続けるでしょうか。
