私は普段、新約聖書にある手紙の挨拶にあまり注意を払わないのですが、この場合、ペテロの挨拶はこの手紙全体の内容を見事にまとめています。
まず最初に、ペテロは自身について述べ、その後、この手紙の読み手が誰であるかについて触れています。
イエス・キリストの使徒ペテロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアに散って寄留している選ばれた人たち。。。(ペテロの手紙第一1:1)
この聖句では、私たちは、自分が誰であり、どのような人になるように神様に呼ばれたのかを見ることができます。
ペテロは私たちのことを、神様に選ばれた人々と呼んでいます。私たちが他の人々よりも優れているから選ばれたわけではありません。
むしろ、神様はその恵みによって私たちを選び、救い、そしてご自身の子供としてくださったのです。私たちの偉大さではなく、神様の恵み深さゆえに、私たちは選ばれました。
さらに、ペテロは私たちを「この世に散って寄留している人」と呼びます。
通常、「散って寄留している人」という言葉は、イスラエルを離れ、他の国々に散って住んでいるユダヤ人を指します。けれども、ペテロはこの言葉をすべてのクリスチャンに当てはめています。
つまり、私たちは本来、天の国の市民ですが、今はこの世に散って、在留外国人として生活しているということです。このテーマは、この手紙の中で何度も繰り返し見ることができます。
ペテロは続けてこう言います。
すなわち、父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。(1-2b)
ペテロによれば、神様はご自身の愛ゆえに、私たちを選び、キリストの血によって私たちを罪から清めてくださいました。
けれども、それだけにとどまらず、神様は今も私たちの中で働き続けておられます。毎日、神様は私たちを清め、私たちが完全にイエス様のようになるまで働いてくださいます。
さらに、私たちは自分のために生きるように呼ばれたのではありません。むしろ、私たちはイエス様に従うように呼ばれました。イエス様は私たちの王であり主であるべきで、私たちはイエス様のしもべとして生きるべきです。
私たちはそのように自分自身を見るべきです。この手紙を理解したいと思うなら、まず、自分が誰であり、そしてどのような人になるように呼ばれたのかを理解する必要があります。
しかし、多くの場合、私たちはそのことを理解していません。多くのクリスチャンはその真理を十分に把握していません。むしろ、彼らはクリスチャンとしての生活を、古い生活のアップグレード版と見なしています。
けれども、神様は私たちの人間性をアップグレードすることに興味があるのではありません。神様は私たちを完全に新しい人へと変えたいと望んでおられます。私たちはその生き方を通して御子を反映するべきです。
また、この世を自分の自宅として見なすべきではありません。むしろ、自分を天の国の市民と見なすべきです。
そのために、神様はイエス様をこの世に送り、イエス様は私たちの罪のために命を捧げられました。そして、イエス様は聖霊をすべてのクリスチャンに送ってくださいました。聖霊は今も私たちをイエス様の形へと変え続けておられます。
あなたはどうでしょうか。あなたは自分が誰であるかを理解しているでしょうか。あなたはどのような人になるように神様に呼ばれたのか、知っているでしょうか。
それとも、あなたはこの世の市民として生きているでしょうか。この世に属する者として振る舞っているのでしょうか。
もしあなたがクリスチャンなら、もはやこの世に属していません。
神様はご自身のためにあなたを造られました。そして、神様はあなたをイエス様に従う者として選び、聖霊によって清めてくださったのです。
この真理を理解せず、自分のために生き続ける限り、あなたは、自分が誰であるか、どのような人になるように呼ばれたのかを知ることはできないでしょう。
あなたはどうでしょうか。その真理を把握し、心に留めているでしょうか。
