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ペテロの手紙第一

神様の御心に従って生きる

ペテロの手紙第一4:1-7

この手紙の冒頭から、ペテロは私たちに大切な真理を教えています。それは、私たちがイエス・キリストに従うために選ばれた者であるということです。

この真理こそ、この手紙の重要なテーマの一つであり、今日の箇所でペテロはそのテーマに立ち返っています。

私たちは自分に属する者ではありません。私たちは神様に属しています。私たちは自分のためではなく、神様のために生きるべきなのです。それが私たちの態度でなければなりません。

そういうわけで、私たちは自分の苦しみに耐え、自分の罪を捨て去ります。(1-3)

しかし、神様に従うということは、罪を避け、神様のために喜んで苦しむことだけを意味するのではありません。私たちは日々、そして毎秒、神様のために生きるべきなのです。ペテロはこう言います。

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。(ペテロの手紙第一4:7)

言い換えれば、私たちの人生が一時的なものであることを心に留めておく必要があります。イエス様はこの世にもう一度来られます。だからこそ、私たちが何かを行うとき、そのことをしっかり覚えていなければなりません。

この世の快楽や心配が私たちの考え方を曇らせないように注意するべきです。また、罪が私たちの心を支配することを許してはいけません。

なぜなら、それらによって私たちは最も大切なことを忘れてしまうからです。それは、神様とその御国です。私たちは毎日、神様に近づき、できる限り多くの人々を神様の御国へ導くべきです。そして祈るとき、私たちはそのことを考えるべきです。

けれども、私たちの祈りはどれほど自己中心的になっているのでしょうか。

もちろん、私たちが自分自身のために祈ってはいけないというわけではありません。イエス様が祈りの模範を示されたとき、私たちが自分のために祈ることを奨励されました(マタイ6:11)。

しかし、覚えておいてください。私たちは自分のために生きているわけではありません。だからこそ、祈るときは、まず最初に「御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように」と祈るべきです(マタイ6:10)。

ところが、私たちは自分のことに集中し、この世のものや心配によって自分の考えが曇らされるとき、神様とその御国を忘れてしまいます。また、罪を犯し、再び罪の奴隷となると、私たちは神様とその御国を忘れてしまいます。

だからこそ、ペテロは「祈りのために、心を整え、身を慎みなさい」と言っています。

効果的な祈りを捧げるためには、私たちは心を整え、身を慎まなくてはなりません。

神様の御心にかなう祈りをするためには、心を整え、身を慎むことが必要です。

神様が私たちの祈りに応えてくださるために、私たちは心を整え、身を慎まなくてはなりません。

私たちの心と態度が正しくないなら、神様の御心にかなった効果的な祈りを捧げることはできません。

私たちの祈り方は、私たちの優先順位を反映しています。また、自分の祈りは、どれほど私たちが神様の御心に応じて生きているかを示しています。

では、自分の祈りはあなたについて何を表しているでしょうか。それは、神様の御心に従って生きる人を表しているでしょうか。

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