前回の記事で私たちが学んだのは、私たちの信仰が自分の経験だけに基づくだけでなく、神様の御言葉にも基づいているということです。
今日の箇所では、ペテロが、なぜ私たちが神様の御言葉をよく知っていなければならないのかを説明します。
その理由は、教会に入り込む偽教師たちの存在です。ペテロは次のように言いました。
しかし、御民の中には偽預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れます。
彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込むようになります。自分たちを買い取ってくださった主さえも否定し、自分たちの身に速やかな滅びを招くのです。(ペテロの手紙第二2:1)
その教師たちは何を教えていたのでしょうか。彼らは基本的に、クリスチャンたちが好き勝手に生きても良いと教えました。彼らは、私たちが自分の情欲に従っても、神様は気にされないと教えました。
その教師たち自身がそのように暮らしていました。彼らは人前で罪を犯しました。教会で皆が一緒に食事をした時、彼らは酔っぱらったそうです。また、彼らは多くの教会の女性たちと寝ました。(13-14)
さらに、彼らはお金に執着していました。彼らが教会で教えた時、彼らの目的は教会の人たちからお金を奪うことでした。(14)
おまけに、彼らは自分の行為を正当化しようとしました。彼らによれば、その生き方によって、私たちは本当の自由を知るのだと主張しました。(18-19)
ペテロは彼らに関してこう言いました。
その人たちに自由を約束しながら、自分自身は滅びの奴隷となっています。人は自分を打ち負かした人の奴隷となるのです。(19)
ペテロによれば、彼らがイエス様を決して聞かないままであった方が良かったのです。なぜでしょうか。
彼らは真理を初めて聞いたとき、自分を奴隷にしていたものから逃れました。しかし、今や彼らはそこに戻ってしまいました。
彼らが真理を知らない間は、まだ真理を聞き、罪から救われる可能性がありました。
ところが、彼らは真理を知るようになり、その真理の甘さを味わいました。それにもかかわらず、彼らは結局、真理を拒絶しました。
では、彼らには救われる可能性があるでしょうか。ほとんどありません。彼らが悔い改めない限り、救われる可能性はゼロです。
さらに、神様は彼らをもっと厳しく裁かれます。なぜなら、彼らは無知によって罪を犯したのではなく、神様の真理を知りながら、あえて罪を犯したからです。(20-21)
ペテロは彼らに関して、こう言いました。
「犬は自分が吐いた物に戻る」、「豚は身を洗って、また泥の中を転がる」という、ことわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。(22)
でも覚えておきましょう。彼らの教えに従うと、私たちも同じ落とし穴に落ちてしまうのです。
だから、私たちが自分に問わなければならないのは、どれだけ聖書を知っているかということです。
もし、誰かが嘘を教えると、その嘘を見破ることができるでしょうか。
私たちはどのように嘘を見破ることができるのでしょうか。
銀行員たちは偽札を勉強しません。逆に、彼らは本物の札によく馴染み、偽札に触れる瞬間、何か違うと分かります。
あなたは神様のみ言葉をそれだけ知っているでしょうか。あなたはそれだけ知っているはずです。そうであれば、あなたが騙される恐れはありません。
あなたはどれだけみ言葉を知っているでしょうか。
