最近の記事を読めば、あなたは、私がれっきとしたクリスチャンが完全な人であると主張していると思うかもしれません。つまり、れっきとしたクリスチャンは決して罪を犯さないということです。
その理由は、この手紙では、ヨハネに白黒をつけるような話し方があるからです。しかし、ヨハネの手紙を注意深く読むと、ヨハネが何を言っているかはっきりとわかると思います。
それは、私たちは光の子どもであり、光の子どもは光の中で歩みます。それでも、光の子どもは罪を犯すこともあります。私たち皆、失敗するときもあります。
ヨハネはこう言いました。
もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。(ヨハネの手紙第一1:8)
また、
もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません。(10)
では、どのように私たちはヨハネの白黒の教えを解釈した方がいでは、どのように私たちはヨハネの白黒の教えを解釈した方がよいでしょうか。
1.れっきとした神様の子どもは、自分の罪のために言い訳しません。彼らは自分たちの罪を正当化するために聖書をごまかしません。彼らは自分の場合が例外だと主張しません。
2.れっきとした神様の子どもはあえて聖書を無視しません。むしろ、聖書を読むとき、その言葉に従おうとします。
3.れっきとした神様の子どもは自分の罪と戦います。彼らは「私はこのままです。私は決して変わらないだろう」と言いません。むしろ、彼らは自分の罪を悲しみ、イエス様のようになりたいと願います。
もちろん、れっきとしたクリスチャンでも、その三つのことをしたことがあるでしょう。彼らは言い訳する時もあるし、聖書を無視する時もあるし、「私はこのままです。私は決して変わらない」と言う時もあります。
もしかすると、彼らは自分の罪を罪としてまだ分からないのかもしれません。彼らはまだ未成熟で、悪と善を見分けることができないのかもしれません。(へブル5:13-14)
けれども、れっきとしたクリスチャンは、ずっとそのように生き続けることはありません。聖霊様はそれを許しません。もしクリスチャンがその御声に従わないなら、聖霊様はその人を懲らしめます。
しかし、良い知らせは、私たちが悔い改めるなら、神様は私たちを赦してくださるということです。ヨハネはこう言います。
もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。(9)
あなたは神様の子どもでしょうか。あなたは光の子どもでしょうか。
そうであれば、自分の罪のために言い訳するのをやめましょう。神様の御言葉を無視するのをやめましょう。神様があなたを懲らしめるとき、すぐに悔い改めましょう。
そうすれば、神様は恵み深い方です。神様は必ずあなたを赦してくださいます。
この世にいる間、私たちは決して完全な人にはならないでしょう。それでも、それは私たちの目的です。私たちは本当にイエス様を愛しているなら、自分がイエス様のようになる希望を持っているはずです。
あなたはその希望を持っているでしょうか。
