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ユダの手紙

信仰のために戦う

ユダの手紙

イエス様の弟であるユダが書いたこの手紙の冒頭が、私は大好きです。

イエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟ユダから、父なる神にあって愛され、イエス・キリストによって守られている、召された方々へ。(ユダの手紙1)

その冒頭の言葉は、最後の二つの聖句と深い関係があります。

あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びとともに栄光の御前に立たせることができる方、私たちの救い主である唯一の神に、私たちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、支配、権威が、永遠の昔も今も、世々限りなくありますように。アーメン。(24-25節)

それらはとても励ましに満ちた言葉です。私たちは神様に愛されており、自分の力によらずイエス様によって守られています。ユダがこの手紙を書いた理由を考慮すると、その真理を理解することは非常に重要です。

では、なぜユダはこの手紙を書いたのでしょうか。ユダ自身が説明しています。

愛する者たち。私たちがともにあずかっている救いについて、私はあなたがたに手紙を書こうと心から願っていましたが、聖徒たちにひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。(3節)

ここでは、二つの注意事項があります。

一つ目は、福音が完全なものであり、私たちに委ねられているということです。ヨハネが言ったように、私たちは福音を越えて進んではいけません。(第二ヨハネ9)

使徒たちが教えた福音よりも深い真理を持っていると主張する人は偽りを語っています。私たちの信仰は、一度きり伝えられたものなのです。

二つ目は、私たちはその信仰のために戦わなければならないということです。どうしてでしょうか。それは、サタンが常に福音のメッセージを破壊しようとしているからです。もし迫害によって福音を破壊できない場合、サタンは欺きによって福音を壊そうとします。

実際、使徒の時代にも同じことが起こっていました。

パウロはその危険について警告し、ペテロもヨハネも私たちに注意を促したのです。(使徒の働き20:30-31;第二ペテロ2:1;第一ヨハネ2:18-19)

そしてこの手紙の中で、ユダもまた私たちに警告しているのです。彼はこう言いました。

それは、ある者たちが忍び込んできたからです。彼らは不敬虔な者たちで、私たちの神の恵みを放縦に変え、唯一の支配者であり私たちの主であるイエス・キリストを否定しているので、以下のようなさばきにあうと昔から記されています。(4節)

2000年が経っても、何も変わっていません。ある人は自分がクリスチャンだと自称しながら、自分の罪を正当化します。

「大丈夫です。あえて罪を犯しますが、後で神様に『ごめんなさい』と言えば、神様は赦してくださるでしょう。」

そのような人は、イエス様を自分の主だと主張しながらも、その行いによってイエス様を否定しています。

さらに悪いことに、彼らは周りのクリスチャンたちにも同じように生きることを教えます。

このような理由で、ユダは私たちに信仰のために戦う必要があると教えています。私たちは偽教師やその偽りの教えと戦わなければなりません。

しかし、その戦いの中で、私たちが覚えておくべき大切なことがあります。

それは、私たちの勝利が確実であるということです。なぜなら、私たちは神様に招かれ、愛され、そしてイエス様によって守られているからです。

また、イエス様の十字架の働きのゆえに、いつの日か私たちは聖く傷のない者として神様の御前に立つことができるのです。その時、私たちは大いに喜ぶことでしょう。

だからこそ、絶望せずに、イエス様が再び来られるその日まで信仰のために戦い続けましょう。

アーメン。主イエスよ、来てください。(黙示録22:20)

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