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ヨハネの黙示録

神様の祝福を知るために

ヨハネの黙示録1:1-3

ヨハネの黙示録にようこそ!

これは聖書の最後の書です。

たぶん、この書を読もうとする人々の多くは、「どうして、黙示録を読まなくてはならないだろうか。この書はとても分かりにくいし、私たちが読む必要が本当にあるだろうか。この書はそんなに大切なんだろうか。」

簡単に答えると、「はい。そうです。」

多くの教会は黙示録を読むことを避けるでしょう。それでも、1章によれば、ヨハネも、神様も、この書がすべての教会で読まれるように望みました。それだけではなく、教会の人たちはその言葉を読むとき、そのメッセージが分かるはずでした。

ヨハネはこの言葉で、この書を始めます。

イエス・キリストの黙示。神はすぐに起こるべきことをしもべたちに示すため、これをキリストに与えられた。

そしてキリストは、御使いを遣わして、これをしもべヨハネに告げられた。ヨハネは、神のことばとイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてのことを証しした。(黙示録1:1-2)

私たちはメッセージの鎖を見ることができます。つまり、天の父がイエス様にメッセージを伝え、イエス様がそのメッセージを天使に伝え、天使がヨハネに伝え、最後にヨハネが教会に伝えるのです。

なぜでしょうか。それは、私たちがすぐに起こるべきことを知るためです。

多くのクリスチャンが黙示録を読まない理由は、たぶんそれが自分の人生と関係がないと思っているからでしょう。彼らは、それが遠い将来に関するメッセージだと考えているのです。

けれども、実際には、その言葉はヨハネの読み手たちと関係がありましたし、その後に続くクリスチャンたちとも強い関係がありました。だからこそ、ヨハネは「すぐに起こるべきことを示す」と言ったのです。彼は近い未来の出来事について語りました。

もちろん、ヨハネは遠い将来のことについても語りました。今なお成就していない預言もあります。ところが、彼の言葉にある出来事は、読み手たちの時代にすでに成就し始めていたのです。今の歴史を振り返れば、すでに成就した預言も見ることができます。

そして先ほど述べたように、ヨハネは、読み手たちがこの言葉を読んだとき、理解することを期待していたのです。だから、彼はこう言いました。

この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。(3)

黙示録が分かりにくい書だと思われていたなら、ヨハネは上記の言葉を語らなかったはずです。ヨハネが期待していたのは、私たちがその言葉を読んで祝福されることでした。

なぜヨハネはそう願ったのでしょうか。それは、その言葉が成就する時が近づいていると彼が信じていたからです。

ヨハネの時代にも、いくつかの言葉はすでに成就しました。そして私たちの時代にも、ほかの言葉が成就しつつあります。もしかしたら、私たちが生きているうちに、その言葉のすべてが成就するかもしれません。

簡単に言えば、黙示録は私たちにとって非常に実用的な書なのです。日常生活の中で、私たちはこの言葉により、訓戒を受け、励まされるはずです。

だからこそ、イエス様はこう言われました。「耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。」

そうすれば、私たちは祝福を得るのです。

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