ヨハネの黙示録にようこそ!
これは聖書の最後の書です。
たぶん、この書を読もうとする人々の多くは、「どうして、黙示録を読まなくてはならないだろうか。この書はとても分かりにくいし、私たちが読む必要が本当にあるだろうか。この書はそんなに大切なんだろうか。」
簡単に答えると、「はい。そうです。」
多くの教会は黙示録を読むことを避けるでしょう。それでも、1章によれば、ヨハネも、神様も、この書がすべての教会で読まれるように望みました。それだけではなく、教会の人たちはその言葉を読むとき、そのメッセージが分かるはずでした。
ヨハネはこの言葉で、この書を始めます。
イエス・キリストの黙示。神はすぐに起こるべきことをしもべたちに示すため、これをキリストに与えられた。
そしてキリストは、御使いを遣わして、これをしもべヨハネに告げられた。ヨハネは、神のことばとイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてのことを証しした。(黙示録1:1-2)
私たちはメッセージの鎖を見ることができます。つまり、天の父がイエス様にメッセージを伝え、イエス様がそのメッセージを天使に伝え、天使がヨハネに伝え、最後にヨハネが教会に伝えるのです。
なぜでしょうか。それは、私たちがすぐに起こるべきことを知るためです。
多くのクリスチャンが黙示録を読まない理由は、たぶんそれが自分の人生と関係がないと思っているからでしょう。彼らは、それが遠い将来に関するメッセージだと考えているのです。
けれども、実際には、その言葉はヨハネの読み手たちと関係がありましたし、その後に続くクリスチャンたちとも強い関係がありました。だからこそ、ヨハネは「すぐに起こるべきことを示す」と言ったのです。彼は近い未来の出来事について語りました。
もちろん、ヨハネは遠い将来のことについても語りました。今なお成就していない預言もあります。ところが、彼の言葉にある出来事は、読み手たちの時代にすでに成就し始めていたのです。今の歴史を振り返れば、すでに成就した預言も見ることができます。
そして先ほど述べたように、ヨハネは、読み手たちがこの言葉を読んだとき、理解することを期待していたのです。だから、彼はこう言いました。
この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。(3)
黙示録が分かりにくい書だと思われていたなら、ヨハネは上記の言葉を語らなかったはずです。ヨハネが期待していたのは、私たちがその言葉を読んで祝福されることでした。
なぜヨハネはそう願ったのでしょうか。それは、その言葉が成就する時が近づいていると彼が信じていたからです。
ヨハネの時代にも、いくつかの言葉はすでに成就しました。そして私たちの時代にも、ほかの言葉が成就しつつあります。もしかしたら、私たちが生きているうちに、その言葉のすべてが成就するかもしれません。
簡単に言えば、黙示録は私たちにとって非常に実用的な書なのです。日常生活の中で、私たちはこの言葉により、訓戒を受け、励まされるはずです。
だからこそ、イエス様はこう言われました。「耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。」
そうすれば、私たちは祝福を得るのです。
