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ヨハネの黙示録

黙示録の土台である福音

ヨハネの黙示録1:4-8

ヨハネの黙示録について考えるとき、福音のことを連想する人はあまりいないでしょう。

しかし、黙示録の土台には福音があるのです。今日の箇所で、ヨハネはその福音を美しく描き出しています。

ヨハネから、アジアにある七つの教会へ。今おられ、昔おられ、やがて来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、また、確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。

私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。

見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。(黙示録1:4-7)

福音の関するいくつか大切なポイントがあります。

最初のポイントは、福音は三位一体である神から来るものだということです。

福音は天の父から来ます。天の父は今おられ、昔おられ、やがて来られる方です。

その肩書は出エジプト記3:14から来ています。その箇所でモーセに語られたとき、神様はご自身を「私はある」と呼ばれました。つまり、「私は永遠の者」ということです。

また、福音は御座の前におられる七つの御霊からも来ます。それはおそらく、聖霊様に触れていると考えられます。

多くの聖書学者たちは、この肩書がイザヤ書11:2に基づいていると見ています。その箇所では聖霊様は「主の霊」、「知恵と悟りの霊」、「はかりごとと能力の霊」、「主を知る知識」と「主を恐れる霊」として描かれています。

さらに、聖書において「7」は「完全さ」を象徴する数字です。したがって、この数字は聖霊様が完全に神であることを示しているのです。

英語の「Martyr」、つまり「殉教者」という言葉は、ギリシャ語に由来しています。しかし元々は、「信仰のために殺された人」という意味ではなく、単に「証人」という意味でした。この箇所で、ヨハネはその言葉をイエス様に関して用いています。

とはいえ、ヨハネの時代には、すでにその言葉の意味が変化し始めていました。それは「自分の証のために死ぬ覚悟をもつ人」という意味になりつつあったのです。(例えば、黙示録2:13)

ですから、ある意味でイエス様は、証人であるだけでなく、殉教者でもありました。

さらに、イエス様は「死者の中から最初に生まれた方」です。当時の文化では「最初に生まれた方」とは「卓越した者」を意味します。言い換えるなら、イエス様は復活者の中で卓越したお方です。

では、なぜイエス様はそう呼ばれているのでしょうか。

その答えは、18節に記されています。

(わたしは」生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。(18)

ラザロや他の人たちは復活したあと、二度目の肉体の死を味わわなくてはなりませんでしたが、イエス様は二度と死ぬことはありません。

さらに、イエス様は、以前復活した人たちだけでなく、将来に復活する人たちよりも優れているお方です。なぜなら、イエス様こそ、死とよみの鍵を持っておられるからです。そしてイエス様はご自身の御心に応じて、人々に永遠の命を与えてくださいます。

さらに、イエス様は永遠の王です。イエス様はこの世のすべての支配者たちの王なのです。

だからこそ、三位一体である神から私たちは恵みと平和の福音を受けるのです。

その福音とは、いったいどのようなものでしょうか。

神様は私たちを愛しておられます。イエス様は私たちの罪のために死なれ、私たちをその罪から解き放ってくださいました。私たちはもはや罪の奴隷ではなく、その罪のゆえに裁かれることもありません。

さらに、私たちは神様の国の民となり、祭司として神様に仕える者とされました。私たちは神様に直接アクセスできる存在となり、この世の人々に神様のために奉仕するのです。

そしてある日、イエス様はこの世にもう一度来られ、この世の人々を裁かれます。

なぜ私たちは、これらすべてのことを確信できるのでしょうか。 それは、神様がこう言われたからです。

神である主、今おられ、昔おられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」(8)

簡単に言えば、神様はすべてのことを支配しておられます。神様はすべてを始められ、すべてを終えられる方です。すべてのことは神様の御手の中にあります。

だからこそ、私たちは希望を持つことができるのです。

それが福音のメッセージです。それが黙示録のメッセージです。

神様に栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。(6)

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