今日の箇所では、私たちはエペソにある教会に宛てて語られたイエス様の最初の訓戒を読みます。
実際、イエス様はその教会について、多くの良いことを語っておられます。彼らは神の国のために忠実に励み、さまざまな苦難にも耐え忍び、疲れ果てることはありませんでした(黙示録2:2-3)。
さらに、彼らは偽教師を見抜き、自らを使徒と名乗る者たちも試して、見分けることができました。この教会は、そうした者たちを退け、偽りの教えを拒絶していました(2,6)。
しかし、彼らには重大な問題がありました。イエス様はこう言われました。
けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。(黙示録2:4-5)
残念ながら、多くの教会も同様の問題を抱えています。彼らは、自分の奉仕において熱心に励みます。迫害が訪れると、彼らは忍耐強く耐え忍びます。彼らは聖書の教えを守り抜き、偽教師たちを見抜き、罪に対しても寛容ではありません。
それでも、彼らは最も大切なことを忘れてしまいました。それは、神様への愛、そして人への愛です。その愛がなければ、教会は空っぽな殻のようになってしまいます。
だから、神様は彼らに訓戒されます。「悔い改めなさい。私は、ただ熱心な奉仕者たちだけを求めているのではありません。ただ忍耐を示す殉教者たちだけを求めているのではありません。ただ用心深い兵士たちだけを求めているのではありません。
むしろ私は、私を愛する者たちを求めています。また、世の人々に私の愛を分かち与える者たちを求めています。」
私たちがそのように生きないなら、いったいどうなるでしょうか。
そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く。(5b)
覚えていてください。燭台とは、人の救いではなく、教会を意味します。だから神様がこう語っておられます。
「もし私の教会であるあなたたちは初めの愛に戻らないと、私はあなたを自分の場所を取り除きます。あなたは礼拝は続けるかもしれないけど、私はあなたをこの世の光として用いません。」
私は第一コリント13章を連想します。その言葉をちょっとパラフレーズにします。
教会が聖書を正しく教え、偽教師や偽りの教えを見抜き、そうした者たちを退け、また聖さを語り、罪を拒んだとしても、愛がなければ、その教会は、騒がしいどらやうるさいシンバルと同じです。
教会の人々が熱心に励み、貧しい者たちを助け、教会の内外でさまざまな良い働きをしたとしても、愛がなければ、その教会は無に等しいのです。
教会の人々が迫害を耐え忍んだとしても、愛がなければ、それは何の益にもなりません。
多くの反キリストたちは、すでにこの世に現れています。そして、最後の反キリストが近づいています。その者が現れるとき、私たちはさまざまな苦難に直面することでしょう。しかし、もし私たちに愛がなければ、私たちはまだ備えができているとは言えません。
あなたの教会はどうでしょうか。その教会は備えができているでしょうか。あるいは、教会はその場所から取り除かれる瀬戸際にあるのではないでしょうか。
あなた自身はどうでしょうか。あなたは、初めの愛から離れていないでしょうか。
イエス様はこう語られました。
耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。(7)
この言葉は、あなた自身と、あなたの教会のために語られています。
イエス様と人々への愛を失わずに、反キリストや苦難、迫害を乗り越えるなら、イエス様はあなたにこう語られるでしょう。
わたしはいのちの木から食べることを許す。それは神のパラダイスにある。(7b)
裁きの日に、イエス様は私たちに何を語られるでしょうか。
