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ヨハネの黙示録

神様に属する私たち

ヨハネの黙示録14:1-13

第7章では、不信者が裁かれる前に、十四万四千人のクリスチャンが神様の印を受け、守られました。

第13章では、獣に属する者たちが獣の印を受けました。そして、その印を受けなかった者たちは迫害されました。

つまり、神様の印を受けた者たちは神様の怒りから守られましたが、獣の怒りを受けたのです。

だから私たちは、自分自身に問いかけなくてはなりません――「迫害を受ける甲斐があるのだろうか」と。

多くの人にとって、「はい」と答えるのは容易ではありません。迫害を好む人など、誰もいないからです。

しかし、神様に忠実に従い、忍耐を保つなら、どうなるでしょうか。第14章に、その答えが記されています。

今日の箇所では、14万4千人がもう一度登場します。私は以前言いましたが、たぶん、その14万4千人は、特別なクリスチャンたちではなく、すべてのクリスチャンを象徴します。そして、7章と14章によれば、天の父の名前と子羊の名前が彼らの額に封印されます。

7章では、彼らは来たる試練に心構えをしていました。でも、14章では、彼らはすでに試練の火を通りました。その時、彼らは何をするでしょうか。

彼らは、自分が受けた迫害について文句を言っているのでしょうか。彼らは、どうして神様がその試練を許したのか、神様に問いただしているのでしょうか。違います。

むしろ、彼らは新しい歌を歌っています。その歌を学ぶことができたのは、彼らのほかには誰もいませんでした。

どうしてでしょうか。御使いたちや4つの生き物、長老たちは、その言葉やメロディーを学ぶことができたかもしれませんが、彼らは14万4千人の試練を経験していませんでした。だから、彼らは救いの喜びを本当に理解することができないのです。でも、神様の民はその喜びをよく理解することができます。

4節によれば、彼らは女に触れて汚れたことがない者たちで、童貞です。でも、彼らが文字通りの童貞ではないと思います。むしろ、その言葉は、彼らがイエス様に忠実であることを意味します。

私たちクリスチャンはキリストの花嫁であり、獣に従ってはなりません。むしろ、私たちが迫害されても、イエス様に忠実に従い、清い心を保つべきです。

そして、忠実な花嫁として、私たちは子羊が行く所にはどこへでもついて行きます。

だから、私たちはもう一度訓戒を受けます。

ここに、聖徒たち、すなわち神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける者たちの忍耐が必要である。。。

「書き記せ、『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである』と。」

御霊も言われる。「しかり。その人たちは、その労苦から解き放たれて安らぐことができる。彼らの行いが、彼らとともについて行くからである。」(黙示録14:12-13)

あなたはどうですか。あなたは現在の苦しみだけではなく、来たる栄光をも見ることができるでしょうか。そうできないなら、あなたが試練に直面するとき、また反キリストに直面するとき、しっかり立つのは難しいことです。

だから、以前の記事で私が言ったように、イエスから目を離してはいけません。なぜなら、イエス様は苦しみに直面しても、ご自分の前に置かれた喜びに照準を合わせたからです。そういうわけで、イエス様は私たちが同じことをするのを助けることができます。

だから、パウロの言葉を覚えていましょう。

今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。

同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。

人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ8:18,26-28)

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