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テトスへの手紙のデボーション

希望によって形づくられた人生

テトスへの手紙2章

クリスチャンとして、私たちの人生は希望によって形づけられているはずです。

その真理について、考えたことがあるでしょうか。

使徒たちはそのように信じていました。

彼らにとって、希望は非実用的で空しいものではありませんでした。

むしろ、希望は彼らの人生を形づくる力でした。

ヨハネは最初の手紙の中で、そのことを教えました。

しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。

キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。(第一ヨハネ3:2-3)

今日の箇所では、パウロも同じようなことを語っています。

というのは、すべての人を救う神の恵みが現われ、私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。

キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。(テトスへの手紙2:11-14)

どうして、私たちは不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活するのでしょうか。どうして、私たちは良いわざを行う熱心を持っているのでしょうか。

なぜなら、私たちは希望を持っているからです。つまり、ある日、イエス様がこの世に戻り、すべての物を新しくするのです。

その日、この世のすべての悪は全滅させられます。さらに、私たちは、私たちを愛してくださるイエス様に似た者となります。イエス様はそのために、私たちを自分の民として選び、贖ってくださいました。

また、私たちの希望するほとんどのものと違って、イエス様にあるこの希望は確かなものです。

あなたは、どれだけその希望を考えるでしょうか。その希望は、どれだけあなたの人生、あなたの考え方や行動を形づけているでしょうか。

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