「キリストは私を捕えてくださいました。」(ピリピ人への手紙3章12節)
「メシアは私を捕えてくださいました。」
その言葉に、少し思いをめぐらせてみましょう。
ユダヤ人にとって、「メシア」または「キリスト」とは、偉大な方です。その方はユダヤ人を救い、イスラエル王国を復興する王です。
パウロはクリスチャンになる前、自分が「メシアは私を捕えてくださいました」と言えるようになるとは想像できなかったでしょう。なぜなら、彼はメシアと親しい関係を持つことはありえないと思っていたからです。
でも、ダマスコへの道で、イエス様はパウロを捕えました。それまで、パウロはイエス様を憎み、イエス様の教会を滅ぼそうとしていました。
しかし、イエス様は彼を捕え、パウロの世界をひっくり返されたのです。
そういうわけで、パウロの人生はキリスト中心のものになりました。7-12節の中で、パウロがどれだけキリストに触れているか数えてみてください。それは十回にのぼると思います。
イエス様が、どのようにあなたを捕えてくださったでしょうか。その経験を振り返ってみると、あなたもパウロのように、不思議に思うかもしれません。
その不思議さゆえに、パウロはイエス様ご自身、そして自分のために備えられたイエス様の計画を追い求め、キリストを捕えようと努めました。
正直に言うと、私はその不思議さをあまり深く考えていません。たぶん、だからこそ、私はイエス様をパウロほど追求していないのかもしれません。
だから、もう少し思いめぐらしてみましょう。
「イエス様は私を捕えてくださいました。」
