いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。。。
主は近いのです。
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4:4-7)
「感謝をもって。。。」
その小さな表現は私の注意を引きました。
私たちが思い煩うとき、祈りや願いはすぐに私たちの口から出てしまいます。
パウロは、「それはいけない」とは言いません。逆に、パウロは私たちが自分の祈りと願いによって、自分の願い事を神に知っていただくように促します。
でも、パウロはその小さな表現を加えます。
「感謝をもって。」
私たちは、自分の祈りと願いと共に、感謝の言葉も神様に捧げるべきです。
「感謝をもって」という言葉は、4節を指します。
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ人への手紙4:4)
思い煩うときでも、喜びなさい。感謝しなさい。
主にあって喜びなさい。主の慈しみを喜びなさい。主の恵みを喜びなさい。十字架によって私たちが受けた赦しを喜びなさい。神様が私たちを自分の最愛の子供たちとして受け入れることを喜びなさい。
6節を意訳すると、私はこう言います。
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝を忘れず、むしろ、主にあって喜び、主の慈しみを喜びながら、ささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」
そうすれば、私たちの試練の中で、「すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(7)
