多分、詩篇88篇は最も暗い詩篇でしょう。でも、この詩篇では、私たちはイエス様の経験を見ることができます。
私は、イエス様がゲツセマネで、この言葉を祈ることを想像できます。
主よ、私の救いの神よ、昼私は叫びます。夜もあなたのみそばで。私の祈りをあなたの御前にささげます。どうか私の叫びに耳を傾けてください。(詩篇88:1-2)
そして、十字架で友達に見捨てられた時、死が近づいていた時、神様の怒りのすべてがイエス様の上に注がれたとき、イエス様がこの言葉を祈ることが想像できます。
私のたましいは、苦しみに満ち、私のいのちは、よみに触れていますから。私は穴に下る者たちとともに数えられ。。。
あなたの憤りが私の上にとどまり、あなたのすべての波で あなたは私を苦しめておられます。
あなたは、私の親友を私から遠ざけ、私を彼らの忌み嫌う者とされました。
私は閉じ込められて、出て行くことができません。。。
主よ、なぜあなたは私のたましいを退け、私に御顔を隠されるのですか。。。
あなたの燃える怒りが私の上を越えて行き、あなたからの恐怖が私を滅ぼし尽くしました。(3-4、7-8,14,16)
そして、イエス様の死体がお墓にあったとき、イエス様の霊はこう歌ったかもしれません。
私は穴に下る者たちとともに数えられ、力の失せた者のようになっています。
私は、死人たちの間に放り出され、墓に横たわる、刺し殺された者たちのようです。
あなたはもはや彼らを覚えてはおられません。彼らは、あなたの御手から断ち切られています。
あなたは私を最も深い穴に置かれました。暗い所に、深い淵に。(4-6)
でも驚いたのは、詩人の最も暗い疑問がイエス様にあって答えられました。
あなたは死人のために、奇しいみわざを行われるでしょうか。亡霊が起き上がり、あなたをほめたたえるでしょうか。
あなたの恵みが墓の中で宣べられるでしょうか。あなたの真実が滅びの淵で。
あなたの奇しいみわざが闇の中で知られるでしょうか。あなたの義が忘却の地で。(詩篇88:10~12)
詩人にとって、その問いの答えは「いいえ」でした。
しかし、イエス様において、その問いの答えは「はい」です。
天の父は死人のために奇しいみわざを行われ、イエス様をよみがえらせました。しかも、イエス様の霊だけでなく、イエス様の御体も起き上がり、天の父をほめたたえました。
イエス様のゆえに、空のお墓で、み使いたちは神様の恵みと真実を宣言しました。さらに、イエス様のゆえに、罪と死によって暗くなった地に、神様の奇しいみわざと義が宣言されたのです。
そういうわけで、私たちは希望を持っています。たとえ物事がどんなに大変になっても、神様は忠実なお方であり、その憐れみは決して尽きません。だからこそ、エレミヤはこう言いました。
「私は待ち望む。主の恵みを。」
実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。
「あなたの真実は偉大です。」(哀歌3:21-23)
