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詩篇のデボーション

神様の恵みを当然と思い、神様ご自身を軽んじる?

詩篇106篇

私たちの先祖はエジプトであなたの奇しいみわざを悟らず、あなたの豊かな恵みを思い出さず。。。(詩篇106:7)

どれだけ、その言葉は、イスラエル人の先祖だけではなく、私たちにも該当するでしょうか。

私たちは神様の救いの奇しいみわざの意義を悟らず、十字架で現れた神様の豊かな恵みを思い出しません。

むしろ、私たちは、神様が私たちのためにしてくださったことを忘れてしまいます。(13a)

私たちは主のさとしを求めず、自分の知恵に従います。(13b)

私たちの古い罪深い生活のものを慕います。(14a)

私たちは神様を試み、神様が本当に私たちと供におられるかどうか疑います。(14b)

神様が備えてくださった良いものを軽んじて、神様の約束を疑います。(24)

私たちは不平を言って、神様の御声を聞きません。(25)

私たちの文化の道を行き、神様の道を捨ててしまいます。(35)

私たちの文化が礼拝する神々が私たちに対して罠になって、私たちはその神々に仕えます。(36)

私たちは自分の行為によって自分を汚し、神様に対して霊的な姦淫を犯してしまいます。(39)

そのすべてをそうするのに、私たちが悔い改めると、神様は私たちに恵みを豊かに与えてくださいます。

モーセや祭司ピネハスが神様の御前に立ち、イスラエル人のためにとりなしたように、イエス様は天の父の御前に立ち、私たちのためにとりなしてくださいます。(23ー30)

私たちが神様の恵みを当たり前のものだと決して思わないように。私たちがイエス様とその十字架での苦しみを決して軽んじないように。

むしろ、感謝と賛美に満ちた心を持って、こう歌いましょう。

ほむべきかな イスラエルの神 主。 とこしえから とこしえまで。(48)

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