伝道者の書を読むと、気が沈むのは簡単なことです。
でも、この書の鍵は以下の表現にあります。
「もし、神様が私たちの人生の中心なら。。。」
もし、神様が私たちの人生の中心なら、私たちの仕事には意味があります。なぜなら、その仕事によって、私たちは神様に栄光を与えるからです(コロサイ3:17、23ー24)。
もし、仕事そのものが私たちの人生の中心なら、最終的に、私たちが振り返ると「私は意義のあることを本当にやり遂げただろうか」と疑問に思います。(3節)
神様が私たちの人生の中心なら、私たちは被造物を見ると、そのデザイン、また、その創造者に感嘆します(詩篇19:1ー6;詩篇104)。
でも、神様が私たちの人生の中心ではないなら、その畏敬の念を失ってしまいます。(伝道者の書1:5ー9)
神様が私たちの人生の中心なら、毎日は神様との新しい冒険です。神様のあわれみや慈しみは朝ごとに新しいですから(哀歌3:22ー23)。
でも、神様が私たちの人生の中心ではないなら、毎日、私たちは喜びがなく、何も期待せず、ただ一日を乗り切ろうとします。(伝道者の書1:8ー11)
神様が私たちの人生の中心なら、私たちはいつも希望を持っています。神様の知恵を持つので、私たちはこの壊れた世を見るけれど、神様が人間が壊したものを直すことができるという確信を持っています。
でも、神様から離れると、人間の知恵は絶望に至ります。なぜなら、私たちは人間の力の限界を見て、人間が自分で壊したものを直すことができないと分かるからです。(12ー18節)
だから、伝道者の書にあるソロモンの言葉を読むとき、ソロモンがどんなものの見方を表現するかに注意しましょう。神様中心のものの見方で話すときもあるし、神様中心ではないものの見方で話すときもあります。
ソロモンが悲観的な言葉、また、憂鬱な言葉を語るとき、考えてみてください。ソロモンが神様中心のものの見方を使えば、どのようにその言葉は変わるでしょうか。
でも、それだけではなく、自分に訊きましょう。「私の人生が神様中心のものなら、どのように、私のものの見方は変わるだろうか。」
