カテゴリー
伝道者の書のデボーション

私たちの喜びの源

伝導者の書2章

前回の記事で私は言いましたが、伝道者の書で、ソロモンは神様中心の生活を送っていない人であるかのようによく話します。なぜでしょうか。

なぜなら、長い間ソロモンはそんな生活を送っていたからです。彼は外国人の女性と結婚して、彼女たちの偶像を礼拝し始めました。

ソロモンはまだ神様も礼拝していましたが、その礼拝は希薄なものになりました。さらに、ソロモンは神様から離れて、喜びを追い求め始めました。

今なお、多くの人々は同じ罪を犯してしまいます。彼らは神様から離れて、喜びを追い求めます。

彼らは快楽によって、喜びを追い求めます。(伝道者の書2:1)

彼らは仕事や物を得ることによって、喜びを追い求めます。(4ー9節)

また、彼らはこう考えます。「もし私は他の人よりも頭が良く、知恵を持つなら、幸せな人生を送るだろう。」(12節)

それらによって、彼らは一時的に幸せになるかもしれません。でも、神様から離れると、彼らは最終的にそのものの空しさが分かってきて、絶望してしまいます。(1ー2、11、14ー23節)

最終的にソロモンもその真理が分かってきました。もちろん神様は、私たちが与えられた世界を楽しむことを望まれます。でも、私たちは賜物を与える方から賜物を切り離すことはできません。

だから、ソロモンはこの話をこのようにまとめます。

実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができるだろうか。なぜなら神は、ご自分が良しとする人には知恵と知識と喜びを与え(ます)。。。(25ー26節)

ソロモンのようにならず、時間を無駄にせず、その教訓を学びましょう。

神様は、私たちがこの人生を楽しむことを望まれます。命は神様からの賜物です。でも、神様から離れるなら、私たちは決して真の喜びを見つけることができません。

だから、神様中心の生活を送りましょう。そうすれば、私たちは喜びだけではなく、満ち溢れる喜びを持つことができます。(ヨハネ15:9ー11)

コメントを残す