今日の箇所を読んだとき、私は21章に記されているイエス様の言葉を思い起こしました。
イエス様は弟子たちにこう言われました。
あなたがたの心が、放蕩や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされていて、その日が罠のように、突然あなたがたに臨むことにならないように、よく気をつけなさい。その日は、全地の表に住むすべての人に突然臨むのです。
あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい光景や天からの大きなしるしが現れます。。。
それから、太陽と月と星にしるしが現れ、地上では海と波が荒れどよめいて、諸国の民が不安に陥って苦悩します。
人々は、この世界に起ころうとしていることを予測して、恐ろしさのあまり気を失います。天のもろもろの力が揺り動かされるからです(ルカの福音書21:34ー36)
イエス様はご自身の言葉に従われました。本当に苦しまれたとき、イエス様が天の父に祈られたので、天の父は迫る試練のためにイエス様を力づけてくださいました。(ルカ22:41ー43)
その反面、弟子たちは眠ってしまいました。どうしてでしょうか。彼らはただ疲れていたからでしょうか。いいえ、むしろ、悲しみの果てに眠り込んでしまったのです。(ルカ22:45)
イエス様の以前の言葉のゆえに、彼らは精神的に疲れ果てていました。だからこそ、彼らは眠り込んでしまったのです。
彼らの行動はよく理解できます。私も、きっと同じことをしていたでしょう。でも、試練が来たとき、彼らは恐れて逃げてしまいました。(マタイ26:56)
ペテロはイエス様について行きましたが、最終的にはイエス様を知っていることを否定してしまいました。イエス様の前に立つことができず、ペテロも恥を負って逃げてしまったのです。(ルカ22:54ー60)
私たち皆、弱い者です。コロナが長く続いている中で、私たちが精神的に疲れているのは当然のことです。
でも、特にこのような時こそ、私たちは祈らなくてはなりません。なぜなら、天の父の助けがなければ、私たちは立つことができないからです。しかし、神様の御前に来るなら、天の父は私たちを力づけてくださいます。
そして、もし私たちが弟子たちのように大きな失敗をしてしまったとしても、どうかへこたれないでください。イエス様がペテロと他の弟子たちに恵みを与えられたように、私たちにも恵みを与え、私たちの信仰を修復してくださいます。
だから、ヘブル人への手紙の著者の言葉を覚えていましょう。
さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。
ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(へブル4:14ー16)
