多くのクリスチャンたちは、「弟子」という言葉を聞くと、「特別なクリスチャン」というイメージを思い浮かべます。つまり、彼らにとって「弟子」とは、ただの信者ではなく、もっと高いレベルのクリスチャンということです。
でも、今日の箇所を読んだときに私が気づいたのは、使徒の働きの著者であるルカが「弟子」と言うとき、イエス様の十二人の弟子に限定して話していないということです。
ルカはいつもその十二人を「使徒」と呼びます。(2節、また、9章26〜27節を参照してください。)
むしろ、ルカが「弟子」と言うとき、それはすべてのクリスチャンを指しています。そして、ルカはその言葉を男性にも女性にも当てはめています。(使徒の働き9章10節、36節)
「クリスチャン」という言葉が初めて使われたとき、それはすべての弟子たちに当てはめられていました。(使徒の働き11章26節)
だから、使徒の働きを読んで「弟子」という言葉を見るとき、「十二人の弟子たち」や「特別なクリスチャン」と考えてはいけません。
むしろ、「クリスチャン」と考えるようにしましょう。
もっと大切なのは、自分自身を「弟子」として考えることです。私たちはある成熟のレベルに達してから弟子になるのではありません。イエス様を信じ始めた瞬間から、弟子としての歩みが始まるのです。
だから、イエス様の弟子として、イエス様にとどまることを学びましょう。毎日、神様に近づき、その愛と力を受け取りましょう。毎日、イエス様を信頼し、イエス様に頼りましょう。毎日、愛をもって、イエス様とその導きに従いましょう。
そうすれば、私たちは神様のために実を結び、この世の人々に触れることができます。(ヨハネ15:1〜8節)
