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詩篇のデボーション

私たちの望み、私たちの喜び

詩篇108篇

最近、私はヨハネ14章から16章をよく読んでいます。だから、この詩篇を読んだとき、私はこう思いました。

「この詩篇を歌ったとき、イエス様の弟子たちの心には、ヨハネ14章から16章にあるイエス様の言葉がどれほど思い浮かんだでしょうか。」

その時、イエス様はまもなく十字架にかかられることをご存じだったので、弟子たちに、「わたしが行くところに、あなたがたは来ることができません」と言われました。

ぺテロはその言葉を受け入れず、いつものように自信満々で、イエス様に「あなたのために、私は命を捨てます」と言いました。

しかし、イエス様は彼に、「鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います」と言われました。

それを聞いて、ぺテロと他の弟子たちは本当に悲しみました。(ヨハネ13章33〜38節)

だから、イエス様は彼らに語られました。

あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネ14:1)

イエス様が復活されたあと、弟子たちがこの詩篇を歌った時、イエス様の言葉は彼らの心に深く響いたでしょう。つまり、

神よ、私の心は揺るぎません。 私は歌い ほめ歌います。 私の心の底も。(詩編108:1)

ダビデのように、彼らは、自分の力ではなく、むしろ神様の忠実さに信頼することを学びました。

イエス様が彼らに「わたしは去って行く」と言われた時、弟子たちはダビデのようにこう考えていたでしょう。

神よ、あなたは私たちを拒まれるのですか。 神よ、あなたはもはや、私たちとともに出陣なさらないのですか。(詩篇108:11)

しかし、イエス様は彼らを励まされました。

わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。

あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。(ヨハネ14:18ー19)

数年後、聖霊に満たされた弟子たちは、ダビデの言葉をどれほど勝利に満ちて歌ったでしょうか。つまり、

神にあって私たちは力ある働きをします。 神こそが、私たちの敵を踏みつけてくださいます。(詩篇108:13)

その言葉を歌った時、彼らはあの晩に語られたイエス様の最後の言葉を思い起こしたでしょうか。

これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。

しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。(ヨハネ16:33)

そして、彼らが復活された主を思い出した時、彼らの心はどれほどダビデの言葉を歌ったでしょうか。

主よ、私は諸国の民の間で あなたに感謝し、もろもろの国民の間で あなたをほめ歌います。

あなたの恵みは大きく、天の上に及び あなたのまことは雲にまで及ぶからです。

神よ、あなたが天で、あなたの栄光が全地であがめられますように。(詩篇108:3ー5)

イエス様の弟子たちのように、私たちは生きておられる救い主に仕えています。だからこそ、彼らのように、イエス様にある望みを喜びましょう。

 

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