1節では、詩人はこのように語っています。
幸いなことよ、主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。(詩篇112:1)
でも、主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は、どのような人でしょうか。
パリサイ人たちは、主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶと主張しました。ある意味で、彼らは義によって特徴づけられていました。それでも、彼らは情け深く、あわれみ深い人ではありませんでした。
主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は、情けやあわれみ、そして神様の義によって特徴づけられています。
イエス様は、そのような方でした。
多くのクリスチャンたちは、神様の戒めを抱きながら、情けやあわれみを忘れてしまいます。
その一方で、あるクリスチャンたちは、情けやあわれみを大切にしながら、神様の義を手放してしまうことがあります。
そのため、彼らはこう言います。「その戒めは私たちのためではありません。神様は、私たちがそのように生きることを望んでおられません。」
でも、私たちクリスチャンは、情けやあわれみ、そして神様の義によって特徴づけられるはずです。
私たち皆が、キリストの性格によって特徴づけられるように。
