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創世記のデボーション

私たちを聞いてくださる神、私たちを見てくださる神

創世記16章

今日の箇所では、私たちは神を描写する名前を二つ見ます。

イシュマエル:「神は聞かれる。」

エル・ロイ:「私を見てくださる神。」

ハガルに対して、神様はそのような神でした。

けれども、ハガルは神様の恵みとあわれみに値するような人ではありませんでした。

ハガルは大きな失敗をしたため、逃げなくてはなりませんでした。

それでも、神様はハガルをご覧くださいました。

また、神様はハガルの言葉を聞いてくださいました。

そして、神様は荒野に来られ、ハガルを引き戻そうとされました。

「主の使い」とは興味深い言葉です。

時に、「主の使い」とは天使を意味します。

しかし、「主の使い」とは、文字通りに「主の言葉を伝える方」を意味します。

そして、旧約聖書では、時に、その使いは神様であるかのように語られます。

今日の箇所では、その使いがそうされました。彼はこう言われました。

わたしはあなたの子孫を増し加える。それは、数えきれないほど多くなる。(創世記16:10)

ある聖書学者によれば、その使いはイエス様であったかもしれません。

赤ちゃんとしてお生まれになる前に、イエス様は時にこの世に現れたようです。

そして、ハガルにとっても、イエス様はインマヌエルでした。

イエス様はハガルをご覧になる神であられました。イエス様はハガルの声を聞かれる神でした。

ハガルのように、あなたは霊的な荒野を歩んでいるかもしれません。ハガルのように、それはあなた自身の過ちによるものかもしれません。

それでも、神様はあなたを見限られることはありません。神様はあなたを探しに来られます。

神様はあなたをご覧くださいます。

神様はあなたの声を聞いてくださいます。

神様は永遠から永遠までインマヌエルです。

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